警察に向けられる目の変化と事件のアウトライン
 
対警察マニュアル本
   
1979
1月
無法ポリスとわたりあえる本 (著者:千代丸健二氏)
弁護士である千代丸健二氏の「無法ポリス」シリーズは、同年にシリーズ第2弾、1981年に第3弾の計3書籍が発刊され、合計で100万部程度が売れたらしい。
※現在の千代丸氏は、人権問題を中心に活動している。
  対警察マニュアル本
おまわりさんが正義の代名詞であった時代において、こうした対警察マニュアル的な書籍はとても刺激的であった。
なお、いかめしい警察官をおもしろおかしく表現する手法は、「つかみ」の手法として現在にも通じている。
1989
1月
NOといえる日本(著者:石原慎太郎)
参考まで。警察マニュアル本ではない。
 
1990
11月
交通取り締まりに「NO」といえる本 (著者:今井亮一氏)
無法ポリスシリーズが警察の取締り活動全般に触れていたのに対し、この本は交通取締りの部分だけにフォーカスした本だといってよいだろう。
※現在の今井氏は、交通ジャーナリストとして活動している。
 
1999
4月
交通取り締まりにNO!といえるBBS
  今井亮一氏は、「月刊交通違反」なるWEBサイトと併設された「交通取締りの“NO!”といえるBBS」という掲示板の代表者として活動していた。原告は何度かその掲示板投稿を行った。その内容は、(今井氏に配慮しながら)掲示板の論調を批判するものであった。
 1.警察批判が露骨過ぎる、
 2.変革を望むなら、 取締りの妥当性を問う必要性がある
 3.匿名だからといって無責任な発言をしてはならない
  月刊交通違反
     on the web

交通取締りの“NO!”といえるBBSは、後に取り締まり相談用の「本館」が別に設置され、以前からあった掲示板は「別館」とされた。


参照
甲申立書(4
6月
 しばらくの間、原告は上の持論を展開した。しかし、当時“今井経”の信者(原告以外の発言より引用)と揶揄されていた今井氏の支持者とは、議論がかみ合わなかった。また、不服があれば闘うのがスジと主張する今井氏にとって、取締りの妥当性はどうでもよいらしいので、原告は今井氏掲示板での主張をあきらめた。  
7月
 原告はPBI 開設後、今井掲示板にアナウンスの投稿をした。すると今井氏は、原告にとっては「なんでこんなことを・・・」と感じざるを得ない指摘をしてきた。原告は、丁重にそれに応じ、そして「当サイトの間違いも、どんどん指摘してほしい。」という今井氏に次の質問を返した。
 1.刑事処分がなんとかなっても、行政処分は勝ち目がない。
   だから刑事処分だけをフォーカスする今井氏の論調はおかしい。
 2.今井氏が「納得いかなければ闘え!」と旗を振って、変革を示唆するなら、
    不服申立の統計を取る必要があるのでは?
 3.個人の問題と社会の問題は分けるべきではないか?

ちなみに、「なんでこんなことを・・・」と感じた今井氏の指摘は、「北海道では一時停止の取り締まりは行われていない」とした原告の経験的な表現に対し、警察発表の統計を持ち出し「数字が違う」としたものである。 今井氏はこのことを「(原告が)数字の間違いを指摘されて〜」と、数年にわたって吹聴を続けている。
  矛盾する今井氏発言
2000年には「記憶がない」ことを示し、
2001年には「記憶がある」ことを示した。
原告の指摘

今井氏の指摘(北海道では〜)とその後の対応は妥当であったのか?

今井氏:No.1684
原告:No.1683,No.1853
(2年後の応答より)

不服申立の統計
2001年秋になって、今井氏は情報公開申請で得た不服申立の統計を記事にした。
   今井氏は自分から「指摘してほしい」といいながら、見落とすはずのない場所にある原告発言に見てみぬふりをした。<原告の記録>  
   原告は「今井氏に話しをしても無駄」だと悟り、以後今井掲示板への投稿を止めた。  
 
フリーウェイクラブ掲示板
  原告は,フリーウェイクラブの和*秀*氏の掲示板にいくつかの投稿をしていた。話しの流れから今井氏の話題となり、原告は「今井氏の掲示板に2度と投稿をするつもりはありません」と発言した。突然、今井氏はこの掲示板に飛び込み、「ボクの掲示板で書くのがスジだ」と主張した。原告が、「都合の悪い意見を見てみぬ振りするような人の掲示板には書かない」旨を伝えると、今井氏は「なんのことかわからない」「記録もない」と発言した。対する原告が記録が残っていることを示すと、今井氏はダンマリを決め込んだ。<原告の発言控え>
  フリーウェイクラブ
 1987年、首都高が600円に値上げされたことに反対する和*氏が、値上げ前の500円しか払わないで通行する運動を続けていた。
 なお、今井氏と和*氏によれば、ふたりは相当長い付き合いがあるらしい。

 1999年秋から2000年春にかけ 次々に不祥事が発覚し 警察の信用は失墜した
2000
4月
 
警察ご意見板
  警察ジャーナリスト黒木昭雄氏の掲示板「警察ご意見板」には、警察腐敗への意見など多くの投稿があった。原告も幾度となく投稿し、また今井氏も積極的な投稿をしていた〉。
 なお黒木氏のサイト名は「現場警察官への応援歌」である。
現場警察官への応援歌
警察批判が高まっていたころ、黒木昭雄氏は「警官は実弾を込め、撃鉄を起こした」でデビューし、一躍「時の人」となっていた。
   「警察ご意見板」では、警察不祥事の話題が中心であった。にもかかわらず、今井氏は脈絡なく交通取締りの話題を投稿していたため、ほとんどレスがつかなかった。そして少なくとも2回以上、原告以外の第三者から今井氏は中傷され。少なくとも1回は管理者によって、今井氏を中傷した発言が削除された。   参照甲申立書(5)
   警察刷新会議へのアクションを披露する今井氏の発言に対し、原告は意見した。対する今井氏はフリーウェイクラブの匿名管理人の名を持ち出して「(記録がない)あれえ?」とした。そして「当方のBBS別館でのことでしたら、そっちでレスするのがスジだ」として、「(原告が2度と行かないとした今井掲示板に)返事を書いた」と黒木掲示板に記した。<今井氏が発表した記録より原告作成>   これらの今井氏発言により、「証拠を残しておかないと、開き直る相手に対抗できない」ことを原告は痛感させられた。

参照甲準備書面(3)
7月
新・警察ご意見板
  「警察ご意見板」はツリー式の「新・警察ご意見板」に移行した。そこに今井氏は「赤坂署への監査請求」での活躍をアピールしながら、現場の警察官をねぎらう投稿<No.93>をした。それに対して原告は<No.95>を投稿した。対する今井氏は、原告のひとつの投稿<No.95>に対して4つの投稿<No117,.129,130,157>で反論した。
   
8月
 原告が本件掲示板Eに論点<No.208No.444>を明示していた頃、今井氏は、原告が論点を示したツリーを避けるように、原告批判のための別のツリーを設けた。そして、今井氏は「ボクの掲示板で書くのがスジだ」と主張するとともに、ログを持たない原告が反論不能な過去のことばかりを批判した。このようにして、原告が論点を示したツリーに匹敵する巨大なツリーが形成された。   参照甲申立書(5)
   原告が論点を示したツリーは、今井氏の支持者であるハンドルネーム「シバレース」の攻撃的な書き込みによって、混乱していった。<No.398.,447454,457,458,460,464>
  黒木氏の掲示板を混乱させた責任を感じた原告は、今井氏の掲示板で決着をつける決心をした。そして8月28日未明に黒木掲示板にNo.466を投稿して、今井掲示板に移動することを宣言した。また今井掲示板にも同じ発言を投稿した。
 しかし、黒木掲示板は同日中に予告なく突然閉鎖され、過去ログの閲覧もできなくなった。
  国家公務員の戯言
ハンドルネーム「シバレース」は検察庁職員であり、2001年4月に東京から埼玉へ転勤し、同年の国家二種の一次試験に合格したことを掲示板上で明らかにしている。ネタ元はこちら
 
交通取り締まりにNO!といえるBBS<別館>
  これまで何度も「ボク(今井氏自身)の掲示板で書くのがスジ」と主張していた今井氏は、いざ原告が行くと、「ワケわからん」「メチャメチャ」「妄想」といった言葉で原告主張を一蹴した。そして不適切な表現で原告の人格攻撃を繰り返した。
 以降は、事件の概要およびオンライン傍聴をご参照ください。なお、原告に提訴を決心させた今井氏発言は、「脳の病気」「人格障害」という文言を含むNo.552(01.04.13)だ。そして提訴を明言したのはこの今井氏発言へのレスポンスNo.671である。
  否定は簡単
   /立証は困難

原告は、過去の今井氏の所業にすっかり懲りていたので、できる限りの記録を取りつづけた。

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