交通違反処理システムはフェアなのか?

こんな場所で、こんな程度の交通違反をなぜ・・・・・・
まるで悪徳商法にひっかかったように感じる取り締まりでさえ、
その理不尽さを第三者に伝えるのは結構たいへんだ。
一方、警察発表はいつも次のとおり。
悪質性・迷惑性・危険性の高い違反を取り締まっている
ドライバーやライダーが目にする現実は、
抽象的な警察発表とのギャップがあまりにも大きい。
警察次第で乱発される交通取り締まりに対し、
交通違反処理システムがはたしてフェアなのかどうか?を考えてみたい。

交通違反処理システムの概要

規制の妥当性を問うことなく「不服があれば争うのがスジだ」と“闘う正義”をアピールするジャーナリストがいます。たしかに軽微違反なら、ゴネることによって不起訴(または起訴猶予)となる可能性は高いのであるが、これは刑事処分に限ったことに過ぎない。行政罰(行政処分)はどうにもならない。

そして近い将来、行政制裁金制度(交通違反の非刑罰化制度)の導入によって、刑事罰が現在の行政罰と同じように、警察の判断だけで処分できるようになるはずだ。

導入目前の新・交通違反処理システムの概要(予想)


つまり、刑事罰と行政罰の双方について不服が認められることが絶望的になるのである。

2002年6月から酒気帯び基準が引下げられ、厳罰化されたように、規制は強化される一方だ。そして、規制が厳しければ厳しいほど、警察の裁量が大きくなります。

この裁量が、「本当は違反だが、見逃してやってるんだ」と、警官を高飛車にしてしまうのだろう。そして、この警察裁量は、あらゆることを禁止にすることによって最大になる。

警察の大きな網

すべての市街道路が駐車または駐停車禁止にされ、極端に低い規制速度がしかれているのはこのためなのだといえる。

行政処分システムはフェアなのか?

行政手続法は、その目的を次のように定めています。

行政処分や行政指導、届け出に関する手続きに関し、共通する事項を定めることによって、行政運営と透明性の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資することを目的とする。
(第1条抜粋)

しかし、警察の処分や行政指導は、行政手続法の適用除外とされています。また、これを補完するはずの行政不服審査法では、警察を審査する機関が公安委員会(=警察)となります。 つまり、争う相手(警察)がレフリー(審判)を兼ねるのです。行政不服審査法のリングで争っても勝てるわけがない。

ともあれ、(一握りの特殊な例外を除いて)必ず負ける不服審査は、警察官の取り締りには対抗できないことを示しています。その一方で、警察は、「悲惨な死亡事故」をアピールして、取り締まりの正当化を続けている。つまり、警察の本音は、「交通取り締りは十分に正当化されているから、たかが一違反者の不服なんぞに耳を貸す必要はない」といったところだろう。

こうして警察は、ドライバーの不満を取り上げることもなく、ドライバーに課す罰だけを引上げていきます。その際に常に材料とされるのは、罰則強化の世論だ。実際、クルマ社会そのものを敵視するような意見がさまざまな場所で見られるように、「クルマ憎し」と思っている人たちは、警察の規制/取り締りの強化を望んでいるようだ。

ここで問題なのは、事故統計と広報の両方を警察がコントロールできることだ。

行政の執行力確保の観点から

テレビや大新聞の影響力が大きな現代社会において、センセーショナルな不祥事のときでなければ警察が批判されることはない。しかしながら、警察には形骸化している公安委員会制度や、地方警察の2重構造などの根本的な構造問題がある。

こうした構造的な問題が解消され、警察が市民の信頼を獲得していると仮定しよう。すると、反則通告制度は義務履行確保の手段として有効であることは間違いない。事実、欧米諸国においても、駐車違反のような軽微な交通違反は、刑事事件ではなく、行政判断において処分されている。

規制の妥当性が問われているか

取り締まりの執行部隊は「違反があるから取り締まるんだ」という論理しか持ち合わせていない。だから「規制がおかしい」という反論で対抗することはできない。(→交通取り締まりに対抗できるか?

しかしながら、規制(ゾーニング)を決めるのも警察だ。各都道府県警察には、交通規制課と交通指導課がある。同様に、各警察署には、交通総務係と交通指導係(まれに交通執行係)がある。交通規制課(交通総務係)は、交通規制(ゾーニング)を策定する部署で、交通指導課(係)は交通取り締まりを行う部署だ。つまり警察内で規制を策定し、その規制を根拠に取り締まっているわけだ。

このふたつを言い換えると、ひとつは交通管理者としての顔、もうひとつが捜査機関として顔である。取り締まりの警官は、捜査機関として動いているので「規制の妥当性」などおかまいなしだ。

つまり捕まった後で、捜査機関職員としての警察官に対し、「規制がおかしい」という理由で対抗することはできないのである。

救済手段はフェアなのか?

反則通告制度について

――反則金の支払いは任意で、不服があれば裁判を受けられます。

これは違反者がみずから希望して反則通告制度を選んだという論理である。しかしながら、日本の裁判制度にはさまざまな問題があり、誰もが容易に利用できるものではない。

裁判をとりまく代表的な問題は、裁判所の権威主義やウラ窓趣味的の報道によって悪者を裁くところ≠フように受け止められていることだろう。そのほか、警察に逮捕された!=事件解決めでたしめでたし的な報道やテレビドラマの影響力も絶大だ。こうした影響によって、裁判で争うことは大それたこと≠ニして世間に受け止められている。

裁判所がフェアなのか?という問題を別にしても、公権力vs個人の法廷闘争を前提とした救済手段は、その力関係に圧倒的な違いがあって到底フェアではない。つまり反則通告制度は、事実上納付を強制しているといえる。

行政処分について

――不服があれば、行政不服審査法に基づく申立てができます。

反則金制度と同様に、救済制度の存在を強調するものである。

上級行政庁となる公安委員会が形骸化しており、また、公安委員会の実務を警察職員が行っているので、まず勝ち目はない。

―――憲法の補償する裁判を受ける権利は補償されている。

たしかにその通りであるが、誰もが容易に利用できない制度、あるいは形骸化した制度を盾にしているに過ぎないのである。

また、取り締まりによって警察一家が潤うカネの流れが実在する以上、乱発されるおそれ、あるいは乱発されている取り締まりに対する、より簡便な救済手段が用意されるべきだろう。

ドライバーの法律上の責任

ドライバーが負担すべき法律上の責任には、民事・刑事・行政の三つがあります。
しかし、民事上の責任が発生する前に行われる警察の交通取締りによって、ドライバーに負わされる責任は、刑事と行政の二つとなります。

交通裁判所

“交通裁判所”という文言は、いかなる法規にも存在しない。警察が“交通裁判所”という呼称を使用するのは、裁判という威圧的な響きを利用して、呼び出しの効果をあげるためだろう。

反則金の不払いで逮捕?

逃げ得はゆるさない ――――
交通裁判所の呼び出しに応じない違反者が逮捕されたといった記事が、毎年春の新聞紙上に並ぶ。
記者クラブを通じて行われるこれら警察の施策は、「違反は違反」に対抗する術のないドライバーのささやかな抵抗を摘み取る、絶大な効果が得られていると予想される。

公安委員会と行政処分

知人のもみ消し依頼がある場合を除いては、公安委員の先生が行政処分に口を出すことはない。

審査請求

名誉職である公安委員の先生が審査請求に立ち会うことはない。そして、警察職員によって、その不服の妥当性が審査される。もちろん、警察の判断を、警察が「不当であった」と判断することなどあるはずもない。
つまり、行政処分に不服を主張する道は、絶望的だといっても過言ではない。

ドイツの行政制裁金制度

ニッポンに導入される行政制裁金制度は、ドイツのそれを見本としている。しかし、ドイツは、アメリカと同じく連邦制であり、中央集権国家の日本とは、行政システムが基盤から異なっている。

ドイツ各州には、独立性の高い自治権が与えられており、州警察と市警察も、対等の立場にある。
警察庁-都道府県警察-警察署と、強力な縦系列を基礎とするニッポンの警察とは、まったく別ものだ。

また、ドイツの交通規制は、運輸建設省(BMVBW) が決めるので、警察による「マッチポンプの可能性」も低いし、制定された測度規制は現実的だ。それに、運転免許制度は、警察の所掌事務ではない。

さらに、ドイツでの行政訴訟は、別機関(BVerwG)で行うことによって、公正な行政運営を担保している。最高裁まで10年以上争わなければ、行政機関の責任を追及できないニッポンとは別世界だ。

規制・取締り・免許、そして不服審査、これらすべての権限を握るニッポン警察が、ドイツのやり方を導入することは、とても危険なことなのだ。

放置違反金制度

2006年6月より、放置違反金制度が導入された。これは反則金と同額の違反金を所有者に課すものだ。

反則金の場合、いったん国庫に入ってから、道路交通安全対策特別交付金として都道府県にバラまかれ、道路局と警察で按分されている。

一方、放置違反金はストレートに都道府県の収入となる。

このカネを何につかうかが、今後話題になるはずなので、注目しよう。

警察が作る事故統計

死亡事故多発の減少傾向がはっきりしている昨今、警察は「死亡事故はへっているが人身事故は増えている」と広報している。

しかしながら、人身事故か否かは医師の診断書≠ナ決められる。そして、出来高払い≠フ医療制度下において、医師はかんたんに診断書を出している。

なお、オンライン化が進んだ今では、警察官が認定した違反が事故原因として統計に加えられている。このデータは運転免許本部にも送られ自動的に行政処分が課されている。

警察で完結する事件

日本が軍国主義だったころ、警察は行政手続きのみで容疑者を次々に検束していた。

その反省もあって、戦後の司法制度では、すべての事件を検察におくること(全件送致主義)が決められた。

そして60年が経ち、特別法違反の対応や行政執行力の確保という見地から、全件送致主義は見直さなければならない時代となっている。

既に部分的には、起訴されない事件を簡易書式で処理したり、軽微な交通事故は簡約特例様式での処理によって、刑事手続きに移行しないケースは拡大している。