クルマ社会に否定的な方へ
道路交通とは別の話しからはじめますが、少しだけお付き合いください。
かつて「校内暴力」が社会問題として取り上げられ始めた頃、学校は「暴力」を押さえようとしました。その結果、「暴力」は先生のいない場所での「イジメ」に形を変えていっていったと言われています。そして現在、学校の問題は、「学級崩壊」という、それまで以上に深刻な局面を迎えています。
上から押さえつけようとすれば、人はそれをはね退けようとするものです。その理由が希薄であれば、それだけ反発も強くなります。希薄な理由とは、「学校の体裁」や「先生の権威」でしょうか。子供たちが希薄さを感じているにもかかわらず、先生が「お前らのためだ」などと口走ってしまうと、生徒は先生を信用しなくなります。信用されない先生がいくら押さえつけようとしても、生徒は先生の言うことを聞きません。
次に、社会一般における犯罪情勢を簡単にレビューします。
1999年から2000年にかけて警察不信に火がつき、そしておまわりさんは信用されなくなりました。その後、全警察が「信頼回復」を謳いましたが、不祥事は一向に減りません。表にでるだけでも、情けない痴漢や飲酒運転、悪質なわいせつ事件などなど。このように正義の警察官がひんぱんに罪を犯す現実は、社会全体の遵法意識を低下させます。当然のように犯罪も増加します。
対する警察は、けん銃の取扱い規程を大幅に緩和しました(2001年12月)。つまり、警察不信を背景にした犯罪の増加に、武器で対抗しようとしているわけです。なお、IRAのテロという危険分子を抱えるスコットランドヤード(ロンドン警視庁)の警察官は、けん銃を携帯していません。それどころか、市民に威圧感を与えるという理由から、警棒でさえズポンに隠しているそうです。
道路交通についてはここからです。
まず、ほとんどのドライバーが、「交通ルールを守るための運転」ではなく、「安全のための運転」を重視していることをご理解ください。誰だって事故を起こしたくはないのです。そして、この「安全のための運転」は、良識と経験に基づいて行われます。ただし、ドライバーの良識と経験はまちまちなので、運転にも個人差が出てしまいます。それから、多くのドライバーが、さまざまな「気配り」をしていることをご理解ください。これも個人差が大きいのですが、自分で気付くには時間がかかります。押し付けられても「気配り」はできません。
もちろん傍若無人な運転をするドライバーも決して少なくはありません。おそらく、日本のドライバーの運転モラルの平均値は、先進国の中で最低だと思います。もし本当にそうだとしたら、原因はどこにあるのでしょうか?
なお、日本の速度規制はヨーロッパよりはるかに厳しくなっています。しかし、これら規制の上に成り立つ各国のドライバーの運転モラルを比較して、「ニッポンの方が良い」とする意見を、私は1度も見たことがありません。誰もが口を揃えたように「ニッポンはひどい」と言います。この現実が、規制(強制力)はモラルを制約できないということを如実に示しているのではないでしょうか。
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