1999.07.01
明治維新の後、さまざまな文化が欧米から輸入され、政治/行政のシステムや思想などの文献も日本語に訳されていった。その際“コモンセンス(Common
Sense)”を「常識」と訳してしまったことが、日本人のモラルを誤った方向へ導いていったともいわれています。
“コモンセンス”は、他人への配慮を前提とした公共の場所での秩序維持の感覚であり、主に親のしつけによって身についていくものである。いわばモラルの土台となる感性が“コモンセンス”としてよいだろう。厳しい親のしつけや日常生活における訓練によって身につく感覚であるはずの“コモンセンス”を、「誰もが知っていて当然のこと」と誤った解釈をし、モラルの土台をすっぽりと失ったままで、社会が発展した結果が、現在の日本なのである。
自然界の生物や物、そして雨や雷などの自然現象を神として崇めてきたかつての日本人の姿に、多くの外国人は好意を持った。その日本人評価に必ずあるのは『純朴さ』だ。とっくの昔に、農業が産業の主役であった時代は終わり、日本人はそれに代わる宗教も持たぬまま、ただ物質的豊かさ、ひいては経済の発展を追求した。
モラル・ハザードによる危機が本格化し、相手より先に「ムカつく」「ウザい」を口にして、優位性を図ろうとする人々が氾濫する現代に、「マナーがああだこうだ」という議論が空しく響いている。