ポートランドで乗り換えの後、双発のプロペラ機は2時間ほどでバンクーバーに着陸した。ぼくはさっそくレンタカーブースに向かった。予約したのは、もっとも安い1500ccクラスだ。
メガネをかけた中年のスタッフは予約原票をみていった。
「カルガリーに行くのに、このクラスじゃだめだ」
そして車種別の料金表を広げた。
「ロッキーマウンテンは4×4でドライブするもんだ 」
ぼくが反論してもまったく譲らない。
「せめてフルサイズのセダンにしろ」
彼のあきれ顔をみて、ようやく納得した。4×4はむりだけど、下から2番目のクラスにアップグレードすることに決めた。
鍵を渡され、ひとり駐車場を探すと、クルマはトヨタ・カローラだった。気になるタイヤをみると、スタッドレスではなく、オールシーズンタイヤのようだ。
不安を感じ、他のクルマもチェックするが、スタッドレスタイヤを履いたクルマは見当たらない。
仕方なく、カローラに荷物を積み込み、バンクーバー市内にむけて発進する。
ウインカーのスイッチが日本とは逆の左ハンドルのカローラで、曲がるたびにワイパーを動かしてしまう。
ふと見慣れぬスイッチがあることに気が付いた。カローラなのにオートクルーズがついている。
バンクーバー
バンクーバー市内に入り、2時間ほど市内のあちこちを走りまわって、街の全体像を確認した。
ユースホステル
日本のユース・ホステルは、強制的な集いは消滅したものの、なにか独特な雰囲気が抜けきれない。一方、海外のユース・ホステルはまったく垢抜けた印象だ。女性も多いし、年齢層もさまざまだ。
初日のルームメイトは、トロントから来た35歳の雑貨商だった。2日目は、ウィスラー・ブロッコムでインストラクターをしていたニュージーランド人。その次が、妙な英語なのに、ぼくよりはるかにボキャブラリーの豊富なフランス人だった。そして3日目は、やたら親しげなマレーシア系の3世のカナダ人だ。
HI-Vancouver Downtown
この街には少なくとも3日は滞在する予定だ。初日は、日本で1泊だけ予約したユース・ホステルにチェックインした。
2日目の金曜日は、調査・研究目的に市内を走り回った。それから市役所にいって、窓口の職員にたのんだ。
「オンストリート・パーキングのシステムについて質問したいことがある」
窓口の職員はいったんひっこんだ。日本からお客さんだぞと、内線で怪訝そうに話しているのが聞こえる。
リサーチしたいだけなんだ、ぼくは通話中の職員に聞こえるようにいった。
カウンターにもどってきた職員は、担当者名と直通番号のメモを渡しながら、月曜に電話でアポをとるようにいった。
こうしてバンクーバーでの滞在は、月曜日までの4日間となることが決まった。
バンクーバー市内
一般にバンクーバーといえば21の都市で構成される広域行政体(グレーター・バンクーバー)を示す。その中心となるバンクーバー市は人口が約200万人。これは名古屋市や札幌市とだいたい同じである。
『世界でもっとも住みやすい街』といわれるこの街では、駐車スペースを探すのは容易だ。
ちなみにバンクーバー市が特別なのでなく、欧米の都市では、無料のパーキングゾーンとパーキングメーターによるオンストリート・パーキング、無料または低価格の公園駐車場、それからレジデンシャル・パーミットによる青空駐車の認可システムはそれほど大きく変わらない。つまり日本が特殊なのだ。
(1) パーキング・ゾーン
日本のように原則駐車禁止ではなく、路上駐車の可否がきめ細かくコントロールされている。そして、駐車可のストリートには、15分から2時間の駐車可能時間が明示されたパーキングゾーンがあちらこちらに存在する。一方、日本の首都圏に、こうした無料のパーキングゾーンは存在しない。
(2) パーキング・メ−ター
パーキングメーターの料金
これはバンクーバーでは最も高いレート。- 10セント(10円)で2分
- 25セント(25円)で6分
- 1ドル(100円)で24分
- 2ドル(200円)で48分
日本では警察が駐停車規制と取締りの両方を完全に掌握しているが、バンクーバーでは双方を市がコントロールしており、そこに警察の関与はない。ちなみに人口が55万人程度のバンクーバー市だけで7,600台分(2006年2月)のパーキングメーターが設置されており、さらに毎年増やしているそうだ。一方、神奈川県警察が人口350万人を超える横浜市内に設置したパーキングメーター・パーキングチケットは、わずか1,350台分(2003年3月)に過ぎない。しかも10年ほど前から少しずつ減らされている。
公園駐車場
民間駐車場
(3) 公園駐車場
日本の首都圏では1回1000円のフラットレートもめずらしくないが、バンクーバーではダウンタウンでも2時間で1ドルが相場。訪れたのが冬だったせいかもしれないが、ダウンタウンを少し離れた公園なら無料で駐車できる。 一方、日本では、公園駐車場は国や地方の外郭団体(○×協会など)に一任され、駐車料金が外郭団体の収益となっているケースがほとんどだ。
(ケーススタディ→横浜赤レンガパーク、お役所の駐車場ビジネス)
(4) 民間駐車場
日本と同じように、平置き型とビルイン型の民間駐車場がある。違うのは、日本の駐車場がタイヤロックやゲートでコントロールするのに対し、発券機でチケットを買い、それをクルマのダッシュボードに置くシステムになっていることだ。
巡回チェックがされていて、チケットがなかったり、時間がすぎていると、チケットを切られてしまう。
(5) 青空駐車許可システム
北海道の原野であろうが信号のない離れ島であろうが、青空駐車を悪とする日本に対し、世界には路上を車庫として認める都市は少なくない。
バンクーバーでは、1980年からパーキングパーミットのシステムが導入されている。希望者は年単位で市役所に申請し、その料金は1年間で30〜60ドル程度である。
なお、バンクーバー市は、駐車可能台数に対してパーミットの数を制限していないので、パーミットをもらったからといって、必ずとめられるものではないようだ。
駐車違反取り締まり
駐車違反のチケット収入
ちなみに日本では、これらを完全に警察がコントロールしており、市が独自の路上駐車対策をすることはできない。
バンクーバー市では1947年にパーキングメーターが導入され、1976年に市は、市警察ではなく、市が雇った民間人に民間人にパーキングメーターのパトロールを行わせることを認めた。
さらに1994年に市は、駐車規制/取締りの権限/責任を担うことを決め、そして現在、市の駐車取締り課には、100名以上の職員を抱えている。そのほかに、84人のパトローラー(駐車違反監視員)がいる。違反のペナルティは、メーター超過が25ドル、駐停車違反は40ドルだ。
レッカー代の行方
レッカー移動の単価は、バンクーバー市が決めている。そして違反者が支払った移動費用はすべてレッカー会社の収益となる。「それじゃ利益追求のためのレッカー移動が行われるのでは・・・」と心配されるかもしれないが、心配の通りにガンガン行われている。ただし、レッカー代は、警察が決める日本のそれよりはるかに適正感があるし、日本のような恣意的な取締りをでなく、昼夜を問わず行われている。
なお、この厳しいレッカー移動が成り立つのは、大前提として、市が駐車スペースを確保する努力、柔軟な規制とその明示をしているからだ。
ちなみに日本では、これらを完全に警察がコントロールしており、市が独自の路上駐車対策をすることはできない。
レッカー移動
日本に比較すると格段に駐車事情のよいバンクーバーであるが、不当駐車に対するレッカー移動は凄まじい頻度で行われている。
なお、日本では警察が恣意的な取締りをしているように見られがちであるのに対し、バンクーバーでは昼夜と問わずレッカー移動が行われている。ただし、日本では反則金と減点の2重罰プラスレッカー代と恐ろしいほどの重罰になるが、バンクーバーでレッカー移動されても違反者に課させるのは、1万円でおつりがくるほどだ。
レッカー代 | ペナルティ | 行政処分 | |
日本 | 大体18000円 | 10000〜18000円 | 1〜3点減点 |
バンクーバー | 42ドル(約4200円) | 2000〜4000円 | なし |
サイプレス・スキー場
3日目の土曜日はとても疲れていた。どうやら時差ボケのコントロールに失敗したようだ。それにやたらと天気がよいので、近くのスキー場にいくことにした。バンクーバーからはクルマで30分程度のところに3つのスキー場がある。そのなかで、標高が高く、景色も良さそうなサイプレスに決めた。
ハイウェイの自転車
一般国道のマリンドライブからトランス・カナダ・ハイウェイに乗った。日本の高速道路と違って料金は無料だ。規制速度は90キロだが、だいたい110キロくらいで流れている。意外だったのは、日本でいう高規格≠ネハイウェイを自転車が走っていることだ。
サイプレスを示す看板のある出口でハイウェイを降りると、そこからは爽快なワインディングロードが続いていた。
日本のスキー場
海外のスキー場
道路と同じように、日本のスキー場は何でも禁止だ。日本の道路がやたらめったらガードレールで区分けし、誰も通らない歩道橋をかけたりするように、日本のスキー場では「立入禁止」のロープが張り巡らされ、樹木のひとつひとつに緩衝材が巻きつけられている。このページでは、こうした事前規制型の日本を考えるために、スキー場のレポートも同時掲載しています。
途中、ビュー・ポイントで小休憩をしながら、11時ころにサイプレス・スキー場に到着した。
このスキー場は、猫魔や神立、あるいは鹿島槍と同等の規模だ。クルマの中で着替え、リフト乗り場に向かう。途中、注意書きを読んでみると、そこには「樹木や岩などの物体は、あなた自身の責任で避けてください」と書かれている。
実際に滑ってみると、コース内には立ち木が乱立している箇所があり、そしてこうした立ち木には、日本のように懇切丁寧な柵やクッションは施されていない。
カナダの赤れんが倉庫
月曜日に市役所に電話をするが、先日もらった担当者のオフィスには繋がらない。代表電話にかけ直して、事情を説明すると、別のダグ・ルイという担当者を教えてくれた。彼のオフィスに電話をかけ、ようやく午後4時のアポを取り付けることができた。
約束の時間までイエール・タウンで時間をつぶすことにした。
イエール・タウンは古い倉庫街を再開発したバンクーバーきってのトレンドスポットらしい。横浜の赤レンガ倉庫のような感じだ。大きく違うのは、クルマで乗りつけることが極めて容易であることだ。一方通行の両側にはパーキングメーターが設置されており、周回しながら駐車位置を探すことができるようになっている。
バンクーバー市役所
午後4時、市役所にあるダグ・ルイ氏のオフィスで面談した。自己紹介のあと、取材の目的を次のように伝えた。
日本では、警察の権限がとても大きく、ドライバーの意見は尊重されていない。そして規制と取締りの両方がどんどん厳しくなり、今年の6月からは駐停車違反の取締りがさらに激しくなることが決まっている。
私はノン・プロフェッショナルのライターであるが、世界の各都市の駐車事情を調べた上で、最も先進的かつ民主的なシステムのバンクーバーを取材に来た
そして、パーキングメーター、駐車違反の取締り、パーキング・パーミットなどについて質問をした。
このセクションに記されたデータは、このときにダグ・ルイ氏が答えてくれたものとバンクーバー市の広報資料から作成した。なお、彼の名刺には交通局パーキングマネジメントエンジニアと書かれている。
取材を終えると、午後6時をまわっていた。次の目的地ウィスラーにクルマを走らせながら、宿泊地を決めていないことを思い出した。
ガソリンスタンドで給油し、ウィスラーのユース・ホステルに予約の電話をした。
無料のハイウェイ
トランス・カナダ・ハイウェイに乗ったときには午後7時を過ぎていた。
「10時までにチェックインしてね」
ホステルのスタッフにこういわれたので、ついアクセルにも力が入る。街を離れ、ハイウェイが片側1車線に変わるころには、すっかり真っ暗になった。
日本ではどんな田舎道でも照明で照らされているが、海外で日本のように明るい道路はない。カナダでも照明があるのはジャンクション付近だけだ。
真っ暗の中、相当なスピードで走っているはずなのに、後続車に追いつかれてしまった。素直に道を譲り、そのクルマにくっついて走ることにした。先頭を走るより、先行車について走るほうがはるかに楽なのだ。はじめて通る道路に対する精一杯の努力をするが、それでも引き離されてしまった。
ハイビームにしても真っ暗な山道をひとり、途中、何度か道に迷いならも、午後9時半ころにユース・ホステルに到着した。
ウィスラー・ブロッコム
他人の評価
スキー場の印象は、時期、天候、雪質、そして評価者の心身状態によって大きく変わります。それゆえ、安易に他人の評価を信じることは危険です。少なくとも、他人の意見の受け売りはやめよう。翌日、ウィスラー・ブロッコムスキー場にいった。世界的に有名なスキー場なのだけれど、事前に調べると、ベースの標高が低いこと、海が近いことが気になっていた。それにスキー場のライブ・カメラやネットに散らばる写真でもベースに積雪のあるものはほとんど見当たらない。
スキー場に到着すると、案の定、ベースに雪はない。それでも「きっと上にはふかふかの雪があるに違いない」と自分に言い聞かせる。ゴンドラ駅で降り、一歩踏み出すと、靴底に硬いアイスバーンを感じた。
―― 上の方はソフトよ。
ホステルのスタッフの言葉はやっぱりお手盛りだったのか。それでもせっかくだから全部すべろうと次のリフトに向かった。7thヘブン(7番目の天国)と名付けられた斜面もがちがちだった。
それでも自然保護区に指定されているブロッコム氷河上のコースに感激し、リフトがクローズするまで滑った。ただ、途中カメラを失くしてしまったので写真はない。
ランボーが壊滅させた街
翌日、ノース・バンクーバーのショッピングセンターでカメラを、冬物一掃セール中のスポーツ用品店でジャケットを買った。日本から持ってきたウェアがカナダの寒さには少し役不足なのだ。そして、次の目的地ジャスパーに向かった。
午後3時ころにバンクーバーを出発した。目的地ジャスパーまでの距離はおよそ800キロだ。
中間地点まではいけるだろう ―― とハイウェイを急いだ。1時間ほど走っていると、Next Hope≠ニいう看板が妙に気になった。
(次は希望) ―― 気になる。
Exit Hope=i希望への出口)で思わずハイウェイをおりてしまった。
映画ランボーの撮影地
すぐにツーリストインフォメーションが見つかり、案内版を見ているうちに、そこが映画ランボーの撮影地であることがわかった。
ちなみに原題の“First Blood”は、最初の血、つまり揉め事の始まりを示すことばである。
よそ者を嫌う保安官に町はずれに追いやられ、戻ろうしたランボーがその保安官に逮捕される、という象徴的なシーンが撮影された橋を見て、またハイウェイに戻った。
深夜強行から車中泊
カムループスという町まできたところで午後9時ころになった。今日はここまでにしよう、と思い、ユース・ホステルまでたどり着くが冬季休業だった。
仕方がないので他の安宿を探すことした。
40ドル以上なら朝まで走ろう ――― CheapMotel≠ニいうベタな名前のモーテルで料金を尋ねるが、予算オーバーの45ドル。
これでジャスパーまで走ることが決まった。次にジャスパーのユース・ホステルに電話した。ベッドは空いているが条件をつけられた。
「午前1時までにチェックインできるなら……」
いくらハイウェイとはいえ、夜の山道400キロを3時間半で走破することは不可能だ。ぼくは予約しないでジャスパーに向かうことにした。
氷上の狼
黄色い作業車
午前3時、ジャスパーまであと少しというところで強烈な眠気に襲われる。沿道にクルマを停め、車の中で仮眠する。
翌朝、目をさますと右手には凍った湖が広がっていた。
しばらく、景色を眺めていると、黄色い作業車がぼくに近づいてきた。招かれてドアを開けると、運転手の男はいった。
「湖の上にオオカミがいるぞ」
氷河道路
ツーリストインフォメーション
朝8時ころ、バンフと並ぶカナディアン・ロッキーの観光拠点ジャスパーに到着した。
観光案内所に行き、あれこれ見ていると、初老の案内係がとぼくに話しかけてきた。ぼくが観光のお勧めポイントや宿泊について尋ねると、彼は聞いたことの3倍以上を返し、聞いていないことまで親切に教えてくれる。相当な話し好きのようだ。
彼、ポールさんは身内が東京で働いたことがあるのだそうだ。ぼくがジャスパーに泊るか、それとも次の目的地レイクルイーズまで行くか決めかねていることを話すと、ジャスパーに泊るのなら夜に電話をくれといってメモをくれた。それから付け加えていった。
「もし泊らなくても、ジャスパーのことを忘れないでほしい」
伊豆スカイラインと氷河道路
カナディアン・ロッキーを縦断する氷河道路は、山あいの道路としては伊豆スカイラインになぞらえることができる。カナダの氷河道路は、今回は冬季なので無料だったが、シーズン中は環境保全のために料金が徴収されている。一方、伊豆スカイラインでは、静岡県道路公社という県の外郭団体が料金を徴収している。公社によれば、伊豆スカイラインは道路運送法第47条に基づく私道なので無料化しなくてよいのだそうだ。参照→ザ☆公共事業
ぼくはマリーン渓谷を見学しながら考え、ジャスパーには泊らずにレイク・ルイーズに向かうことにした。これは旅程の都合だ。
そして、ポールさんが特別な場所≠ノ印をつけてくれたガイドマップを頼りに、氷河道路(Icefield Parkway)を走り出した。
レイク・ルイーズ
氷河道路
すっかり日が暮れたころ、レイクルーズに到着した。到着してからユース・ホステルに電話するが、協会本部の受付センターに転送され、留守番応答になってしまう。そこで直接ホステルに行き、フロントに尋ね、ようやく今晩の宿を確保することができた。
翌朝、ぼくは早起きしてスキー用に向かった。クルマの外気計はマイナス15度を示しているが、体感はもっと寒い。ちなみにぼくは北海道に7年住んだことがあり、富良野やトマムのナイターを経験したことがあるが、それより格段に寒い。それでもウィスラーがいまいちだったこと、天気が良いこと、それから雪質に期待できることから胸がはずんだ。
そしてレイク・ルイーズはパーフィクトだった。
自己責任型のスキー場
/事前規制型のスキー場
日本でこんな斜面の滑走を認めているのは、筆者の知る限り妙高の関温泉とサッポロ・テイネの北かべコースだけだ。ほかは「滑走禁止」のロープが張り巡らされている。しかし現実には、相当な数のスキーヤーとボーダーがロープの外を滑っているし、ある程度はスキー場も黙認している。きっと、「滑走禁止のルールを破った方が悪い」と責任転嫁さえできれば、それでよいのだろう。十分な規模、雪質の良さ、充実したスノーパークに超上級者用のエキストリームコース。また、ベース付近はファミリーにも適している。
午後3時ころにスキー場を後にして、地名レイク・ルイーズの由来となったルイーズ湖に向かった。
湖は完全に凍結しており、その上にはスケートリンクが設けられていた。また、氷の彫刻に彩られていた。しばらく見学して、ぼくは次の目的地バンフへ向けてクルマを走らせる。
バンフ
連日同様、すっかり日が暮れて目的地に到着した。宿泊先もまだ決まっていない。駅に向かうが既に閉まっているので、バスターミナルに行き、そこでバンフにもユース・ホステルがあることを知った。
さっそく電話するが、やはり転送され、留守番応答となるので、直接行くことにした。バンフのユース・ホステルは市街地からクルマで5分ほどの閑静な高台にあった。
バンフ・ユースホステル
受付に行くと、耳ピアスでやたらノリのいい兄ちゃんがベッドの空き状況をチェックしてくれた。
空いてんのかよ? もうひとりのスタッフがモニターを覗きこむ。
ひとつキャンセルが……あった!
ピアスの兄ちゃんは手早くチェックインの処理してこう言った。
「予約をしたほうがいいよ」
わかってるよ、という意味で、ぼくは笑ってみせた。
サンシャインスキーリゾート
翌朝、7時半に設定した腕時計のアラームで目覚めた。
日本を発つ前にレイクルイーズかバンフ郊外のサンシャインのどちらかのスキー場に行くつもりだった。予算と時間の関係でふたつは無理だと思ったからだ。
でも、きのうのレイク・ルイーズが良かったことと、今日はもっとコンディションがよいことを予知できたので、サンシャインにも行くことにした。
スキー場に到着すると恐ろしく寒い。ゴンドラ頂上駅に到着するとさらに寒さは増してきた。リフトに乗り合わせた女性が「マイナス50度だ」とはしゃいでいるのが聞こえる。
サンシャイン・スキーリゾート
バンフの駐車事情
バンクーバーと同じように、駐車の可否は細かくコントロールされている。15分〜2時間の駐車可、商用車のみ駐車可などなど。もちろんバス停はバス専用だ。
午後2時半にスキー場を後にし、バンフの街を見学した。そして、トランス・カナダ・ハイウェイをカルガリーに向けて走りだす。ほどなく、前を行くクルマのブレーキランプに気付き、スロー・ダウンすると、エルクが道路を横断している。
帰りの飛行機は、2日後の朝8時発なので、この旅行はあと2泊と1日で終わりだ。このままカルガリーに2泊しようかと考えながらも、次々に後方に流れていくロッキーの大自然に未練を感じた。
カナナスキスの入口
そして、ぼくはカナナスキスという看板のある出口で、ハイウェイを降りることにした。ロッキーの西側のたしかこのあたりにユース・ホステルがあったはずだ。行くだけ行ってみて泊れたら泊ろう、と思いクルマを走らせる。
カナナスキス・ビレッジを通り過ぎ、バンクーバーでもらったユース・ホステルガイドのおそろしく単純な地図に不安を感じながら走っていると、あたりは真っ暗になり、対向車とすれ違うこともなくなった。
ガス・ステーションの電話
この先に給油所はありません≠ニ書かれたガス・ステーションの看板を通り過ぎたあと、Uターンして、そこで電話をかけた。また総合予約センターに転送されるが、構わず聞いた。
「カナナスキスのホステルは、ジャンクションからどれくらいの距離だ?」
「たしかフィフティ(50)キロくらいだ」
「フィフティーン(15)じゃなくてフィフティ(50)だな」
ようやくほっとした。まだ30キロくらいしか走っていないので、もっと先にあるはずだ。そして、また暗闇のなかを走り出した。
夜9時をまわり、州立公園に入ると、通ってきたルート40は冬季閉鎖で行き止まりなっている。すっかり困り果て、近くのロッジで道を尋ねることにした。
管理人の女性は地図を描いてくれた。どうやら目的地は、通り過ぎたカナナスキス・ビレッジのすぐそばらしい。
30分で行けるわよ、という言葉を追い風に、ぼくはさっき通った道を戻りはじめた。
カナナスキス Wildnessホステル
ようやく辿りついたときには、午後10時ころとなってしまった。なかに入ってたずねると、若い女性スタッフは申し訳なさそうにいった。
「あいにく満室です」
ガックリしたぼくが立ち去ろうとすると、後ろから彼女の声がきこえた。
「スタッフの部屋でよかったら …… 」
こうしてぼくは、この旅ではじめて個室に寝ることができた。
大都市カルガリー
スキー場の利用規約
翌朝、チェックアウトのあと、あちらこちらに寄り道をしながら、カルガリーへと向かった。
車窓の景色に都会を感じはじめると、すぐにスキーのジャンプ台が見えてきた。ぼくはクルマを寄せて、ジャンプ台の併設されたスキー場を見学した。
1988年のカルガリー・オリンピックのメイン会場となった場所のようだ。日本でいえば、規模もロケーションも札幌市街からクルマで15分ほどのばんけいスキー場とよくにている。斜面の3分の1くらいを占めるボードパークの規模に驚かされる。また、子供も多く、スキーベース前の多くは、スキーとスノーボードそれぞれのスクールが開催されている。雪質はウィスラーよりもよい。
一度カルガリー市内に入り、空港まで行くことにした。明日の便が早朝なので所要時間を確認したかったからだ。でも、ハイウェイに乗りそこなったのか、工業地帯に迷い込んでしまった。
道を尋ねた工場前の駐車場で、ついでに大型トラックのエンジンルームを撮らせてもらった。
整備士はエンジンの性能を説明してくれる。
「排気量15000cc、500馬力、18段変速、それからトルクが …… 」
日本の駐車対策が異質な理由
駐車対策を都市の問題として解決してきた欧米各都市と違って、日本では、警察庁と建設省(現国交省)のタテ割りによって、駐車場を供給する対策は何らなされてこなかった。そして行政不在で民間任せに発展した駐車場は、1990年代になって、パーク24やリパークなどの会社が実現した無人の時間貸し駐車場、いわゆるコインパーキングにより、高収益事業となった。今世紀に入るころから、日本のお役所は、この高収益事業に次々に飛びついた。ただし収益事業として発展した料金相場はそのままで、公有財産を外郭団体に運営させるという日本的な駐車行政がつくられていった。
日本の駐車行政の根本的な問題は、警察庁と建設省(現国交省)のタテ割りによって、総合的な駐車対策ができないこと、それから中央集権的なシステムが自治体独自の施策を拒んでいることにある。
空港でレンタカーの返却場所を確認し、カルガリーの市街地にもどることにした。とはいえ、カルガリーには取り立てて見たい場所もないし、氷点下のビル風が肌をつきさすようだ。早々にチェックインして帰り支度をすることにした。
ホステル前の道路は、月曜から金曜の7時から18時までは2時間の駐車が認められている。月曜から水曜の1時半から7時までが駐車禁止なのは、おそらく除雪のためだろう。
日本では、どんなに余裕のある道路でも駐車禁止となっており、そのことに文句をいう場所はない。取締りは警察の気分しだいで、レッカー代も反則金もめちゃくちゃ高く、免許の点数までさっ引かれてしまう。こんな国はきっと日本だけだろう。
日本での運転を考えると気が滅入るので、もう寝ることにしよう。