最終更新:2001/12/01
警察の速度違規制/速度違反の取り締まりに、ドライバーの理解はまったく得られていない。このセクションでは、取り締まりのやり方ではなく、規制そのものの妥当性を検討する。そうすることによって、ドライバーに〝不条理さ〟を感じさせている原因がはっきりするとともに、その副作用も見えてくるはずだ。

■合理的な速度規制とは?

特定の道路で、どの程度の速度なら安全なのかを、イメージした。

安全なのか危険なのかは、時間帯・天候・路面状態、そしてクルマの性能やドライバーの技術・精神状態によって変化します。したがって、安全と危険を明確に区切ることはできず、かならずグレーゾーンとなります。

しかし、速度規制・取締りにおいては、「どこからを違反とするか」について、明確な線引きをしければならない。

そして、その線をグレーゾーンのどのレベルに置くかが根本的な問題だ。

現状の規制と取締り

現在の交通規制は「危険防止」に偏っており、「交通の円滑」への考慮はほとんど為されていない(青線)。そして全ての違反は取締りの対象とされている(違反は違反の論理)。しかし、警察はドライバーの不満を考慮して、取締りの対象ライン(赤線)を大きく引き上げているのが現状だといえる。

青線赤線の間は、現場の警察官の裁量で取締りの対象となる。これが警察官の気分次第の取締りや点数稼ぎの道具、時としてドライバーを威圧する材料にさえなるのである。

また、青線赤線の間が大きいことが、取締られたドライバーの「みんな違反してるのに、なんでオレだけ・・・」といった不満の材料にもなっているのである。

合理的な(理想的な)規制と取締り

交通規制(/違反のボーダーライン 青線)は、多くの者が安全と感じるレベルを違反にしてはならない。

また、取締りは、誰が見ても『危険』なケースを対象とするべきである(赤線)。

これはマジョリティ・ルールを尊重した考え方である。

大きな網vsマジョリティ・ルール

規制と取り締まりが乖離しないので、ルールに対する信頼が高くなる。

ルールに対する信頼が高くなると、取り締まりの有無にかかわらず自発的にルールを尊重しようとするモチベーションがはたらくようになる。

ロード・シェアリング


■85パーセンタイル速度について

先に挙げた「現状」と「理想」のふたつに、85percentileの概念を付け加えると、次のように対比させることができる。

現在の規制と取締り
合理的な(理想的な)規制と取締り

85パーセンタイル速度について

メリーランド州のState High way Administration(Department of Transportion)のサイトより抜粋
※米国では速度規制はDOT(交通省)が決める。

The 85th percentile speed is the speed at or below which 85 percent of the motorists drive on a given road when unaffected by slower traffic or poor weather. This speed indicates the speed that most motorists on that road consider safe and reasonable under ideal conditions. It is a good guideline for the appropriate speed limit for that road.
85パーセンタイル速度
特定の道路において、悪天候や遅いクルマの影響を受けずに走るクルマ85パーセントが選択する速度である。つまり85パーセンタイル速度は、その道路を走る多くのドライバーが、安全で合理的であるとみなす速度なのである。これは適切な速度規制を行うためのよい指標だ。

■低過ぎる法定速度と地域差について

さて、速度規制について、ニッポンの警察は、「道路の設計速度などを根拠として合理的に定められている」と広報しています。しかし、それはクルマが普及し始めた高度経済成長期から今日に至るまでの40年間変わることのなかった法定速度を上限とした逓減式に過ぎない。

一方、多くの政治家・お役人・企業が道路に関わる公共事業の利権に群がった結果が道路の高コスト構造を招き、それが莫大な事業費を注ぎ込みながらも、40年前と変わらない粗末な道路と、高速道路のような立派な幹線道路が混在する背景となっている。

あとまわしにされた古い規格のままの道路では、現状の規制速度が妥当な場合もあります。しかし、整備の進んだ幹線道路や交通量が少ない直線的な道路において、多くのドライバーは規制速度が、“交通の実態”に即していない(だれも規制速度を守っていない)と感じているのではないでしょうか。つまり、逓減式の上限である法定速度が適切とはいえない道路が、確実に増加しているである。

いいや、規制は適切だ!という反論をお持ちの方もあるだろう。しかし、ここで問題としているのは、整備された主要幹線道路における規制速度だ。

それからもうひとつ付け加えなければならないのは、法定速度を上限とした規制速度に対しての“交通の実態”は、とても地域差が大きいというである。たとえば、交通量の多い首都圏のドライバーの大多数が、「規制速度は妥当」と感じているのかもしれない。しかし、北海道のドライバーにとっての速度規制は、〝だれにも守れないルール〟といっても過言ではない。同様に茨城のように平野部が多く、比較的道路が整備された地域では、「規制速度は妥当」と感じるドライバーの比率は、首都近県に比べれば少なくなるはずだ。

一般的に運転のマナーが悪いと言われる地域(北海道、茨城、愛知など)には、この平野部が多く、比較的道路が整備されているという共通点が存在している。このことは多くのドライバーが「規制速度が妥当ではない」と感じている地域において運転のモラルが低下し易いことを示しているといえるだろう。


■捕まるほうがバカ?

一般道では、規制速度プラス20km/hに満たない違反を警察は黙認している。高速道路ではプラス30~40km/h程度の速度超過が黙認されている。この現実は、「法規というルールはある程度なら破ってもいい」ということが、広く(平成11年度の免許保有者数は7379万人)、深く(40年をかけてじんわりと)浸透させられていったことを示している。こうしてニッポン人の遵法意識は低下させられていったのだろう。今日に至っては、「捕まらないように破るのがルールだ」、「捕まるほうがバカだ」といった風潮が顕在化しているのが現実なのかもしれません。

もし、大多数のドライバーが「捕まるほうがバカだ」と感じているのだとしたら、次のような考え方が主流になっているのかもしれない。

「ルールは警察の前で守ればいい」「捕まらないように破るのがルール」「正直者はバカをみる」

そして、このような考え方は、道交法だけではなく、法規全体に対しての考え方になっている可能性がある。なぜならば、交通法規はもっとも身近な法規であり、また、警察の交通取締りは、裁判所に縁のない普通の人々が、司法を身近に感じる唯一の機会であるからだ。

「なぜあのひとが・・・」と周囲がため息をつく犯罪が増加しているウラ側には、身近な交通ルールとその取り締まりに合理性が感じられないことが影響を及ぼしているのかもしれない。