machine(マシーン)の集合的名詞としてのmachinery(マシーナリー)は、人的システムとしての組織を示す際にも使用される。そしてmachinerism (マシーナリズム)は、社会の問題を検証するための造語である。 |
【組織】Organization
MACHINE(マシーン)が「組織」を意味するように、マシーナリズムは組織にもその影響を及ぼす。たとえば、組織が社会に貢献しているかどうかよりも、組織の威厳、つまり表面的なカッコ良さが優先されるときには、マシーナリズムが悪影響を及ぼしているのだといえる。このようなマシーナリズム度の高い組織の共通点は、(1)ポジションを示す肩書きに大きな権威が与えられる。(2)上司に意見することは許されず、上命下服が徹底される。(3)組織への忠誠を確認するための“儀式”がひんぱんに行われる。そうして次第に人間的な判断が疎まれ、無機的なシステムが一人歩きしていくのである。
マシーナリズムの悪影響を強く受けた組織では、組織が何のためにあるのかが問題とされることはなく、組織を存続させること、そして組織の中での自分の存在が確かであることが優先されることになるのである。
マシーナリズムの暴走
◇銃やナイフ
ナイフを磨くことと、ゴルフクラブを磨くことの楽しみは共通だ。しかし、ゴルフクラブにはゴルフ場でその機能を発揮する機会があるのに対し、ナイフにその機会は少ない。でも機能はあるのだから、ナイフを持つ者がその機能を試したくなるのはあたり前のことである。
◇性犯罪
男性のマシーナリズムが女性をその対象としたとき、悲劇は起こる。“無機的な造形美”へ向けられるマシーナリズムは、生身の女性をも“無機的なモノ”として扱うために、女性の意思は無視されるのだ。女性を「自分のモノ」や「性の道具」と認識する男性のマシーナリズムが、レイプやストーカー行為を生むひとつの要因だといえる。
◇幼児虐待
女性のマシーナリズムは、わが子を「自分のモノ」と認識してしまう母親に表れるようだ。
また、子供の意志を尊重することを忘れ、親の願望を子供に押し付ける場合も、子供を「自分のモノ」として扱っていると言ってよいだろう。
◇クルマの運転
クルマには実用する機会があります。だから普通のドライバーが普通のクルマを運転する限り、その実用性だけでもある程度は満足できるはずです。しかし、高級車には、機能美のオマケに高性能がついてくる。だから、「クルマの性能を試したい」とう欲求に駆られるのはとうぜんだ。手にしたモデルガンで「何か撃ちたい」という衝動に駆られることと同じことなのである。
クルマの性能は年々進歩し、道路の整備も着々と進んできた。今日では、高級車ならずとも必要十二分な性能を有している。一方、クルマに対する規制の多くは数十年間変わることはなかった。進歩する技術/旧態依然のままの規制の中で、「性能を試してみたい」という欲求は、規制への不信感が強いドライバーほど強くなるはずだ。なぜなら、「抑圧されている」という実感がストレスを鬱積(うっせき)させるからだ。
◇警察不祥事
銃撃戦とカーチェイスと美女の3つが揃えば、ハリウッド的な映画が作れるといわれています。 つまり大多数の観客は、この3つを欲求しているのである。 |
(武器:けん銃)
日本でけん銃を所持することは認められていない。しかし交番のおまわりさんは、モデルガンしか持てない少年たちの羨望を一身に集めるかのように、腰の目立つ位置にいつもけん銃をチラつかせている。
(クルマ)
警察車両は、交通取締りを恐れる必要はない。また、サイレンと赤色灯を使用することによって、交通ルールを無視することも許されている。
このように、警察官がマシーナリズムの代表的な要素を持っていることは、警察官という職務がマシーナリズムを暴走させ易い環境にあることを示しています。 そして、警察官が、警察権威の前に冷静さを失った女性と、人目につかない場所で一緒になったとき、しばしば警察官のマシーナリズムは暴走している。
マシーナリズムをコントロールできるか?
■ドライバー
マシーナリズム度の低いクルマを運転するとき、その欲求を抑えるのにさほど苦労はしない。しかし高性能車を運転するときには強力な自制心が必要となります。したがって、高性能車を所有しようとするのなら、ハンドルを握ったときに必ず沸き起こる衝動をひんぱんにコントロールしなければならないことを覚悟する必要があるのだといえる。
■現場の警察官
警察官はパトカーでの違反を問われることはない。なぜなら、道交法には緊急の場合の例外規定があり、そして警察が緊急性をあいまいにすることによって、例外規定という“拠りどころ”ができるからである。 このように役所の裁量(警察の裁量)に守られた「警察一家」の構成員(警察官)にとって、怖れるべきは組織から睨まれることであって、一職員としての活動を一市民から批判されることではない。組織に従順であれば、多少の不始末は組織がもみ消してくれたからである。さらに、もし職務中の警察官に損害を受けたとしても、矢面に立つのは国家となるので被害を受けた一般人に勝ち目はない。つまり警察官は、マシーナリズムが暴走する材料を持っており、もし暴走してもその行為をもみ消すことのできる手段があるのだといえる。
1999~2000年の警察不祥事、そして情報公開が警察にも迫られたことなどから、1999年以前のような内々処分や不祥事隠しは行い難い状況となった。しかし、情けない不祥事が一向に減る気配ないところから推測すると、警察内部での綱紀粛正が「抑圧されている」という実感を現場の警察官に生じさせ、そうしてたまったストレスが組織の目の届かない場所でぶちまけられているのだろう。
■警察組織
「権力は必ず腐敗する」という言葉もあるように、権力が集まる場所には腐敗を抑制する装置が必要だ。しかし警察の抑制装置(公安委員委員会制度)が機能していないために、警察活動を外部からコントロールすることはできない。また、「警察一家」という言葉が示すように、ことのほか組織の結束は固く、内部告発のできる環境は存在していない。このようにして、警察組織は巨大なマシーンと化してしまったのだろう。