LAST UPDATE 2003.01.17

■ 警 察 史 ■

警察幹部は中央集権を目指す

よしむべからず、知らしむべし
 江戸時代に徳川幕府や各藩が、政治や行政はプロに任せて民は黙ってよりかかっていればよろしい。何も知らなくてよい、という方針を「よらしむべからず、知らしむべし」という言葉で表した。この為政者の体質は今も基本的には変わってない。その弊害は不況によって明らかになったが、最も甚だしい「知らしむべし」を貫徹しつづける警察には世論の矛先はなかなか向くことはありませんでした。しかし1999年からの警察不祥事続出し、現在は変革の時代を迎えています。減ることのない警察の不祥事の問題点を分析するために、また過ちを繰り返さないためにも歴史は重要な視点です。ここでは学校の教科書にはほとんど記述のない警察史を通じて現在の問題点を考察する材料とします。

特高警察
 誰しも「特高警察」を1度は耳にしたことがあるだろう。しかし特高警察の実態を綴った出版物は極端に少ない、ひとつの原因はGHQ占領前後に警察がその多くを処分してしまったからである。各都道府県警察が編集する『警察史』には特高警察は重要な歴史的過ちであるにもかかわらず「一部の警察職員らによる思想取締が問題であった」程度の記述しかされていない。しかしその実態は荻野富士夫氏の研究が示す「全警察の特高化」のほうかより客観的な歴史に忠実である。同じ第2次大戦敗戦国のドイツが、当時要職に会ったヒトラー、ゲッペルス、ヒムラー、ゲーリングらの映像やユダヤ人が迫害される様子を収めたフィルムが多数存在する。同盟国であったドイツと比べて、日本に残された映像が極端に少ないことは、「責任追及を恐れたものが、証拠となるものを処分した」ということを裏付けているといえる。
 警察が編集した『警察史』には「敗戦後、特高警察は解体した」と書かれているが、自己申告せずに追及を逃れたものがほとんどであった。また罷免された特高関係者もほとぼりがさめると復職している。GHQの特高解体と特高関係者の公職追及といった“外圧による警察改革”は、1954年警察法施行によって(公安委員制度の殻をかぶってはいるものの)元の中央集権体制に戻っている。 つまり現在の警察制度は、終戦前の警察(日本軍国主義の元凶とGHQが考えた敗戦前の警察)の再現に向かって、着々と積み上げられた結果なのである。“GHQの警察改革”のなかで、現在も残されているのは、形骸化した公安委員会制度だけなのかもしれない。


1873.11 内務省設置 民主的な近代国家をめざして、内務省が設置された。
1874 警視庁創設 川路利良を初代警視総監として、警視庁が創設された。創設に先だってはフランスの制度を視察し、フランス人刑法学者を顧問として迎えた。後に日本警察はドイツの制度を模範にする。なお英米型の民主警察に対し、仏独の警察は中央集権型といわれている。
1886 警視庁管制に高等警察登場  
1889.2 大日本帝国憲法 自由民権運動に対する言論・集会取締り
1895 下関条約 政治警察として、高等警察が各地で機能する
1900 道路取締規則(警視庁令)  
1900.3 治安警察法 全ての集会を警察への届け出制とし、警官に集会立ち入り権、解散権を持たせるものであり、露骨に大衆運動を弾圧するための法律であった
1904 日露戦争 労働運動社会主義運動が頻発し特高警察が各地に置かれるようになった
1907 自動車取締規則(警視庁令) 自動車運転免許制度らしきものを警視庁が制定した
1905 日比谷焼討ち事件 日露戦争の講和条約調印に反対する群集が、集会予定の日比谷公園を警視庁に封鎖されたことから群集と警官隊との大乱闘に発展した。3日間続いたこの暴動で民衆の死者17人、検束者2000人となった。この暴動によって民衆の警察不信に火がつき、『警視庁廃止』が各新聞で論じられた。
1910
韓国併合
1918
シベリア出兵
米騒動 米価の高騰に苦しむ富山県の漁民の妻らに端を発する暴動は全国的なものとなった。警察はこれらの暴動を抑えることができず、120箇所で軍隊が出動した。
1919 自動車取締令(内務省令) 初めての全国統一の規則、運転手免許の規定
交通安全週間各地で始まる 米騒動での警察の弾圧と取締によって民衆の警察不信は決定的なものとなっていた。警察威信回復のために各地で交通安全週間が開かれた。警察活動のアピールのための交通安全週間は「交通安全を呼びかける」という基本形態をそのままに現代まで続いている。
1921 中国共産党成立 第一次治安維持法改正、各地の警察で高等課から特別高等課を独立させ大拡充を実施した
1922 日本共産党成立  
  自動車取締令改正 免許制度、交通標識の全国統一、車検制度の原型
1923 治安維持令  
1925 治安維持法  
1928 3.15事件 1道3府27県に及ぶ日本共産党への弾圧
治安維持法改正  
1929 4.16事件 1道3府24県の及ぶ日本共産党弾圧、約700人検挙は3.15事件に次ぐ
1930 「特高月報」刊行 出版警察(検閲)、政治警察(反政府運動への取締り)、労働運動警察(日本労働組合全国協議会など労働運動の取締)、農村警察(農民運動の取締り)宗教警察(思想の取締り)、※思想の取締は反戦反軍や不敬不穏な言辞のみで犯罪を立件していくようになった
1931
満州事変
「国家の警察官」と並んで「陛下の警察官」の意識が高まった。(警察精神作興運動)
1932 5.15事件  
1933 小林多喜二が虐殺される 特高警察の拷問により小林多喜二が虐殺される

1935頃

取締りの対象は外国人へ 共産主義運動の沈静化以後右翼思想運動、類似宗教、在留朝鮮人をも取締りの対象とする(内朝警察)
1937 南京大虐殺日独伊防共協定成立 農民運動へは治安維持法は発動できないため傷害、脅迫、住居侵入等の刑法や出版法、公務執行妨害を適用させ弾圧した。「労働運動の活動家を根こそぎにするという狙い」
1940頃 宗教の取締り 宗教警察はキリスト教や神道系宗教団体を取締の対象とする
外国人の犯罪の取締り強化 強制連行された朝鮮人と中国人の犯罪防止のための警察増員(内朝警察、外事警察)
1941
対米英宣戦布告
治安維持法全面改正  
予防拘禁制実施  
治安維持に関する非常措置要綱  
太平洋戦争開戦
1945
- 終戦 -
終戦によって警察が解体されるのではとの懸念も束の間、警察は軍隊の解体に伴う治安確保という責務の自覚が強まった。公の事務文書からは削除されるも戦後復興を乱す思想に対する取締は終戦以前と変わりなく続けられた。さらに内務省は治安維持のための特高警察倍増案さえも構想していた。
GHQの人権指令
(思想取締法の撤廃、政治犯人釈放、特高警察解体)
特高警察解体に対し書類上の操作により罷免を逃れた特高関係者は主に警備公安警察に再生したと言われている。事実特高解体の前後に置かれた警備公安警察は特高警察の職掌の一部を受け継いだ。また特高課と外事課以外の課の特高関係者は対象外となった。さらに特高関係規則の保存が義務付けられたに関わらず、多くの記録は処分ないし隠匿された。罷免された特高関係者も1951年までに次々と復職を図った。
1946 GHQ公職追放指令 拷問虐待行為をした特高関係者が罷免されたが、自己申告制でありその罷免者の数からもかなりの該当者が逃れたと推測されている。
武装警官登場 労働組合結成の急進展や労働争議対策に警察官の拳銃携帯にGHQが理解を示し、3月以降各警察署に拳銃が配備されていった。
日本国憲法  
1947 旧警察法制定
(民間人で構成される公安委員会の設置)
行政警察を解体して司法警察を基本とするとともに,自治体警察を創設した。「北海道警察史」には日本の実態にそぐわない自治体警察をGHQに押し付けられたかのように記述されているが、国家地方警察と自治体警察という2本建ての制度に問題があったのであって、GHQの民生局と公安課の対立による調整不足が問題を作った原因であるといわれている。
内務省廃止  
1948 風営法施行  
1948 全警察官の拳銃所持 SW45口径1丁と実弾18発を携行させた。
1950 警察予備隊創設  
1951 特高罷免者の復帰 特高罷免者と公職追放者の全面的罷免・追放解除
パチンコ登場 パチンコの流行
1952 日米安全保障条約 ワシントンで、日米安全保障条約とサンフランシスコ条約が批准された
破壊活動防止法  
1954.4 乱闘国会 警察の中央集権化(終戦前の形態に戻す)するための警察法改正の決議に国会は乱闘となり多数の警察官が国会内で鎮圧にあたった。
1954.7 警察法制定 都道府県警察への一本化、警察庁の設置、公安委員会の管理
1955 松山事件(→免田事件) 宮城県松山町で一家4人が殺害されて放火された事件。逮捕され死刑が確定した免田被告は1984年に無罪が確定となる。
1960 新安保条約調印  
道路交通法施行  
1964 東京オリンピック  
1967 道交法改正 反則金制度導入
1968 3億円強奪事件 白バイ警官を装った犯人が現金輸送車を襲った。
1969 東大安田講堂事件 この頃、日本のGNPは世界第2位となる
1970 道交法施行令改正 運転免許の点数制度
よど号乗っ取り事件 元赤軍の田中義三は北朝鮮に逃れた
群馬県連続女性殺人事件 行方不明中の女子高校生が死体で埋められているのが発見されたのを機に若い女性の連続殺人が明るみにでた。大久保清容疑者は「榛名湖畔にアトリエがある」といってだます手口で、約1ヵ月の間に8人の女性を次々と殺害した。
1971 土田邸爆破事件 警視庁の土田警務部長の自宅に届けられた爆弾が爆発し、婦人が爆死新築間もない邸宅も大破した。同年10月他の爆弾事件で逮捕された赤軍派の増淵利行ら4人が再逮捕された。増淵は犯行を自供したが後の公判で明確なアリバイを示し、警察の強引な拷問、脅迫、誘導尋問によるデッチあげと主張、公安の供述調書は証拠として不採用、無罪とされた。昭和50年5月に別の容疑者が逮捕された。
1972 浅間山荘事件 5人の日本赤軍メンバーが軽井沢の浅間山荘に人質をとって篭城、警官隊はクレーンで山荘を破壊するなど制圧行動の後強行突入、人質を救出し犯人を逮捕した。第2機動隊長と特化車両隊分隊長の2名が狙撃され殉職した。
1974 甲山事件 兵庫県西宮市の知的障害児施設「甲山学園」で園児二人が園内の浄化槽から水死体で見つかった事件で、兵庫県警は保母を男児殺害容疑で逮捕したが釈放。1978年に再逮捕し起訴。1999年に3度目の無罪判決。有名な冤罪事件
1976 ロッキード事件  
1977 日本赤軍ダッカ日航機事件 日本政府は人質交換に応じ、犯人らは約16億円を手にして逃亡した。
1978 三里塚 成田空港反対を掲げる過激派が空港警備の裏をかき管制塔への突入に成功。警備責任者の三井は責任を問われず、後に警察庁長官となる。
1979 三菱銀行猟銃人質事件 大阪市内の三菱銀行北畠支店に猟銃をもった男が押し入り、猟銃を乱射して警官2人、行員2人を射殺、3人に重傷を負わせ、5000万円を要求、客と行員37人を人質にして立てこもったが、42時間後、容疑者は警官に撃たれ死亡した。
東京サミット(第5回先進国首脳会議)
1982 松橋著書発刊 元警視監松橋忠光「わが罪は常にわが前にあり」出版。組織の構造汚職を暴露し、その後同様な告発書が多数出版された。
川島告発 元警視庁公安部員の川島茂は月刊『現代』9月号に「警察スキャンダルは構造腐敗だ」とする告発分を実名で掲載した。
大阪府警とばく遊戯機汚職事件発覚 大阪府警の中堅幹部が風俗営業界へし就職し、その警察OBが現役の後輩から捜査情報を入手して摘発を逃れていた贈収賄事件。3度発覚しながら警察上層部は黙殺していた。明らかになっただけでも二千数百万円の黒いカネが動き124人の警察官が処分された(昭58.1.20付)。前大阪府警本部長は捜査の途中で自殺、布施署防犯課の巡査部長も首を吊って自殺した(昭57.11.2)。事件は兵庫県警に及びさらに28人が処分された。大阪地裁は主犯格の2人に懲役3年追徴金1500万円を言い渡した。さらに「警察の汚染はかなり進み、被告の犯行はその汚染が原因と言えないことはない。被告のみ罰することは、トカゲのシッポきりの感なきにしもあらず」と指摘、さらに「警察権力を背景に賄賂を提供しなければ検挙するとほのめかし、金銭を要求したたかり形態の極めて悪質な犯罪である」と論告した。
1983 兵庫県警ゲーム機汚職事件 兵庫県警尼崎中央署保安係長ら4人がピンクサロンの捜査で業者が有利となるように調書を偽造した。論旨免職5人、停職4人、減給15人、戒告3人の大量処分。警察官11人が虚偽誘引公文書作成、同行使で神戸地裁へ送致された。構造汚職として疑惑が深まる中で当時の鈴木本部長は中国管区警察局へ栄転した。
1984
東京サミット(第12回先進国首脳会議)
秋田県警免許証偽造事件  
グリコ森永事件 犯人を逃した滋賀県警は事件を知らされておらず警察の縄張り意識の問題が露呈した。当時の滋賀県警の本部長山本昌二はノンキャリア組である。
1986 現金輸送車強奪事件 三菱銀行有楽町支店前で輸送車が3人組に現金3億3000万円入りのトランクを強奪された。
1989 連続幼女誘拐殺人事件 89年7月、強制猥褻罪で八王子署に逮捕された宮崎勤は、88年8月の埼玉県入間の4歳児、10月、飯能での7歳児、12月川越で4歳児、89年6月東京江東区での5歳児の誘拐事件を自供。真里ちゃんの遺骨を遺品とともに自宅に送りつけたり、幼女の死体切断をビデオで撮影するなど、その残酷さは犯罪史にも稀に見る。2001年7月、2審でも死刑が確定した。
坂本弁護師一家誘拐事件 事件の真相は警察だけが知っているのか・・・? 詳しく知りたいかたはこちら
1992 佐川献金疑惑で金丸議員辞職 「東京佐川急便」の渡辺広康前社長ら経営陣が、広域暴力団稲川会の石井進元会長らの関係会社などに、巨額の融資・債務保証し、逮捕された。捜査の中で、自民党の金丸信元副総裁に5億円が渡ったことが発覚、東京地検は政治資金規正法違反にたるとして略式起訴し、金丸元副総裁は罰金20万円を支払い、10月14日、議員を辞職した。
1993
東京サミット(第19回先進国首脳会議)
金丸元自民党副総裁を脱税容疑で逮捕 自民党の金丸信元副総裁が、ゼネコン各社などから寄せられた献金を税務申告せずに金融割引債を購入し、3月6日、所得税法違反の容疑で逮捕された。
ゼネコン汚職 石井亨・仙台市長がゼネコン4社からの収賄容疑で東京地検に逮捕された(6月)。本間俊太郎・宮城県知事がゼネコンからの収賄容疑東京地検に逮捕される。竹内藤男茨城県知事も逮捕される。(9月)
1994 ゼネコン汚職 中村喜四郎元建設相が「鹿島」元副社長から公正取引委員会に圧力をかけ建設談合の告発を阻止するように依頼されて1千万円を受け取ったとして、斡旋収賄容疑で逮捕された。(3月)
警察法改正 生活安全課の設置によって、警察のテリトリーが再現なく広がることが可能となった。
暴対法施行  
松本サリン事件(06) 詳細は警察に犯人扱いされた河野善行氏のHPへどうぞ
1995.03 地下鉄サリン事件 東京都千代田区地下鉄霞ヶ関駅付近でサリンにより死傷者多数。のちにオウム真理教の犯行とわかった。警察は事件を事前に知っていたとする情報もある。
1995 オウム真理教麻原逮捕  
  国松長官狙撃事件 (03) オウム信者の巡査長が警察庁長官を狙撃。警視庁は巡査長の自供を4ヶ月間隠した。
1996 厚生省汚職事件 特養ホーム施設建設に対する補助金支出などで便宜を図った謝礼として、現金6千万円を受け取ったとされる収賄容疑で、前厚生事務次官が逮捕された。(12月)
1997 道路交通法改正 第108条の32によって、全国交通安全協会が「全国交通安全活動推進センター」として指定を受けた。これによって、警察からの業務委託を交通安全協会が独占することを、法律が保障したことになる。
1998 信号機汚職 その1 信号機保守の会社が数十億円の所得隠しの疑いで逮捕。この会社のグループ企業は、青森、山形、福島、神奈川、新潟の5県警で信号機の保守管理を独占していた。なお、グループ企業には、7県警から多数の警察OBが天下っていた。
信号機汚職 その2 4月、青森県警元交通規制課長が自殺。
神戸酒鬼薔薇事件 2月10日、神戸市須磨区で女児2人が金槌で殴られた。3月16日にも女児が金槌で殴られて死亡、数分後に別の女児が刃物で刺されて重傷を負った。5月24日、小学6年生の男児が行方不明となり、27日早朝、自宅近くの中学校の正門前で切断された頭部が発見され、午後には身体部分が発見された。6月4日、神戸新聞社に独特の字体の犯行声明文が届く。28日、容疑者の中学3年生が逮捕され、女児4人の殺傷についても犯行を認めた。10月17日、神戸家裁は「医療少年院送致」の保護処分を言い渡した。
1999年 信号機汚職 その3 青森県警が発注する信号機の保守点検業務などの受注をめぐる贈収賄容疑で、「東北交通管制サービス」に警察から天下りした前社長(64)、社長(51)、県警警務部警部で教養課次長(49)と元県警交通規制課長(61)が逮捕さた。4人の逮捕の4日後、青森県警交通規制課課長補佐の警部(53)が首吊り自殺した。なお捜査は東京都ほか9県に及ぶ日交管グループ脱税事件が発端となった。
神奈川県警不祥事 神奈川県警の不祥事が次々と発覚し、警察不信が募った。
9月2日 厚木署員による集団暴行事件が発覚
9月5日 相模原南署の元巡査部長が押収品のネガフィルムを基に女子大生を脅迫していたことが判明
9月7日 警察庁は本部長らを減給処分
9月22日 警部補(37)が覚醒剤の使用を認めながら県警は逮捕せず、別の理由で諭旨免職にしていた疑惑が発覚
10月7日 本部長が辞職、警務部長を更迭
11月4日 覚醒剤使用容疑の元警部補を逮捕。当時の本部長が証拠隠滅を了承していた疑いが表面化
10月14日 本部長らを書類送検
10月15日 戸塚署の巡査部長を女性警察官の脅迫未遂容疑で逮捕、懲戒免職にしたと発表
2000年
九州・沖縄サミット
9年間監禁された少女と新潟県警 1月28日、1990年11月から新潟県三条市内で行方不明になっていた女性(19)が、柏崎市内で新潟県警に保護された。女性は無職男性(37)宅で暮らし、外に出なかったという。新潟県警は署員が発見したとウソの発表をしたが自力で逃げた少女が病院で保護された
新潟県警の失態 新潟県警小林本部長が9年間監禁された少女が保護されたその夜に、特別監査に来ていた中田・関東管区警察局長らと温泉ホテルで宴席を持ち、麻雀に興じていたことが明らかになった。
信号機汚職 その4 佐賀県警交通規制課の警官ら10人が2年間にわたって信号機メーカーなどの出入り業者に出張宿泊費や交通費を肩代わりさせたり、一部の職員が頻繁に接待を受けたりしていたことが、発覚した。問題は1998年秋に発覚し、監督責任を問われた歴代本部長2人を含む計20人が処分されていたたが、県警は公表せず「事件性がない」と判断、立件を見送っていた。しかし、神奈川県警をはじめとする警察組織内での不祥事が全国的に広まったため、11月になって発表した。 佐賀県警監察課によると、業者に出張費を肩代わりさせていたのは、九州管区警察局から出向していた進藤元課長補佐を中心とする交通規制課の警察官ら。信号機メーカー製品を納入前に調べる「工場検査」で、神奈川、埼玉両県の工場に出張した際、県警からは正規の出張旅費を受け取りながら、宿泊費や交通費を業者に負担させ、浮いた金を受領していたという。
2001 奈良県警汚職事件 奈良県警幹部と奈良佐川急便による贈収賄事件は、逮捕された元交通企画課長の焼身自殺によって、真相は闇に消えた。なお、奈良佐川急便グループは、警察の天下りを10人以上をかかえ、元副社長も県警OBであった。
小学校で児童8人を殺害 大阪府池田市の大阪教育大学付属池田小学校に男が乱入して刃物を振り回し、児童8人が死亡、教員を含む計15人がけがをした。容疑者(37)が殺人未遂容疑で逮捕された。
2003 稲葉事件(北海道警察)
 現職警官の麻薬密売
 元上司と捜査協力者の不審な死
 密告者は拘置所で暗殺?
覚せい剤とけん銃の密売、暴力団との取引き、そして、どうみても他殺にしかみえない密告者の拘置所での自殺・・・。ハリウッドのポリス・サスペンスも顔負けの事件であったが、ニッポンらしく「臭いものには蓋」で終わってしまうのだろう。その蓋を閉めようとしたのはいったい誰だろう?
2004 捜査費流用(全国的裏ガネ疑惑) 北海道警察の元旭川警察署長が裏ガネの存在を実名告白したことから火がつき、弟子屈(北海道)、静岡、福岡、山梨でも裏ガネの存在を肯定する内部告発がつづいた。
これに対し、警察庁は「偽名領収書の廃止」を表明したが、この直後、神奈川県警・愛知県警は、保存期間中の文書を大量に廃棄したことが明らかとなった。

To be continued