業務上過失傷害
被告人 野 村 一 也
本件公訴事実は,当公判廷において取調べ済みの関係各証拠により,証明十分である。
ところで,被告人は,当公判廷において,「私は,対面信号の表示が,少なくとも直進可能である表示であったとの感覚から,交差点を直進進行したので,過失はない。本件事故は,山*の見切り発車が原因である。山*は,衝突前に自ら転倒したものである。佐**については,尻餅をついて倒れたのであり,左膝の怪我はなかった。」などと主張し,弁護人もこれに沿って,被告人の無罪を主張するので,以下検察官の意見を述べる。
@ 平成17年2月6日午前8時ころ,被告人は,普通乗用自動車を運転し,元町方面から桜木町方面に向けて,横浜市中区本町5丁目49番地先の信号機により交通整理の行われている丁字路交差点(以下「本件交差点」という。)内に進入した(乙1号証ないし3号証,被告人公判供述)。
A 山*幸*(以下「山*」という。)は,同時刻ころ,本件交差点を弁天橋方面から元町方面に向けて右折するため,本件交差点内に進入した(乙1号証ないし3号証,被告人公判供述)。
B 被告人車両は,本件交差点印こおいて,右に弧を描くようにして対向車線に進出した。路面に残された被告人車両のタイヤ痕から,被告人車両の速度 は時速53.28キロメートルと算出された(甲5号証)。
C 山*は,全治約10日間を要する左膝挫創,両下肢挫傷の傷害を負った(甲6号証)。
D 佐**政*(以下「佐**」という。)は,加療約33日間を要する左膝部挫傷兼擦過傷の傷害を負った(甲9号証)。
E 本件交差点の信号現示状況は,元町方面から桜木町方面に向けての対面信号の直進方向の信号表示については,赤色及び青色直進矢印が黄色に変わり,3秒間の黄色表示を経て,赤色表示を示し,その3秒後に,弁天橋方面からの対面信号及び歩行者用信号の表示が赤色から青色に変化するものであった (甲4号証)。
保*尚*(以下「保*」という。)は,当公判廷において,大要,以下のとおり供述する。
@ 私は,約6年前,タクシー会社に勤務しており,会社の朝礼などで,事故があった場合には,詳細を事細かく記憶するよう言われており,タクシー会社を辞めた後も,そのような意識を持っていた。
A 私は,仕事のため,本件交差点を,週4回から5回ぐらい,午前8時ころ通っており,朝の時間帯は,直進方向は車が詰まっており,本件事故時も直進方向は渋滞していた。
B 私は,本件交差点の右折車線の停止線手前の一番手前で停車したが,右折信号は赤色であった。
C 私は,普段本件交差点を右折する際,右折信号が出ている時間が短いことから,前から3台目か4台目であると,直ちに右折できないことが多かったが,この日は,先頭に停車したことから,今後配達時間を短縮するためということを考え,どういうシステムで信号がかわるのか意識して見ていた。
D 私は,まず,右側の歩道上にOLがいたことから,そちらに自然と顔が向いてしまい,その際,横断歩行者用信号(甲3号証添付の交通現場見取り図における信号A)が目に入り,その時の信号Aは赤色であった。
E 私は,次に,山*の対面信号となる信号(甲3号証添付の交通現場見取り図における信号B)を見たところ,信号表示が赤から青に変わるのを見た。さらに,自分の進行方向左側の横断歩行者用の信号を見たところ,信号表示は青であった。
F 私は,視線を前方に移したところ,弁天橋方面から,原付が勢いよく先頭にたって発進し,時速10キロメートルから20キロメートルくらいで交差点内に進入した。停車していた他の自動車なども発進した。
G 私は,その時,元町方面から時速60キロメートルくらいで進行してくる自動車が目に入り,原付にぶつかるんじやないかと思っているうちに,自動車の左側面に衝突した。衝突の時,ブレーキ音とガチャンという書を聞いた。原付は,後輪が跳ね上がるようになり,横に倒れた。私は,原付の運転手が死んじゃったかなと思った。
H 私の停車位置と,衝突地点の間に,視界を遮るものはなく,その日の天候は晴れで,私の視力は1.5である。
I その後,自動車は,右に弧を描くように歩道の方へ走っていき,歩道にいる初老のおじさんがしりもちをついているところを見た。
J 私は,原付の運転手山*から,信号表示について尋ねられ,山*の対面信号が青だったと答え,さらに山*から,もめるようだったら証明して下さいといわれ,山*に名刺を渡した。
山*は,当公判廷において,大要,以下のとおり供述する。
@ 私は,毎日,通勤のため,本件原付を運転し,本件交差点を通過していた。
A 本件交差点の朝の交通量は多く,この日の交通量も普段と変わらなかった。
B 私は,普段は午前8時15分から20分ころ,本件交差点を通過していたが,この日,午前8時ころに到着したのは,この日の午前10時ころに外出する予定が入っており,それまでにしなければいけない仕事が発生する可能性があったから,早めに会社に到着しようと考え,普段よりも早い時刻に到着した。しなければいけない確実な仕事があったわけではなく,そのような仕事が発生するかは,会社に行ってみないと分からない状況であった。会社の始業時間は午前9時であり,それまでに出社していればよかった。本件交差点から会社までは,5分くらいの距離である。C 私は,元町方面から本件交差点に到着し,対面信号が赤色表示だったので,停止線事前に先頭で停車した。他にも自動車が信号待ちをしていたと思う。
D 私は,対面信号の表示が赤色から青色に変わったので,右折するため発進し,時速10キロメートルから20キロメートルで走行した。その際,左右をよく確認しなかった。信号待ちをしていた他の自動車も発進したと思う。
E 私は,交差点内に進入した後,元町方面から桜木町方面に向けて,時速50キロメートルから60キロメートルくらいの速度で直進進行してくる被告人車両を発見した。私は,よけようとしてハンドルを右に切ったが,自車の前輪部分が,被告人車両の左後方のタイヤ付近に衝突し,左側に,原付と一緒に倒れ込むように転倒した。
F 衝突後,被告人は,事故現場の状況や信号機などをカメラで撮影していた。
G 私は,桜木町方面から元町方面に向けての車線の,本件交差点手前の右折車線の先頭に保*車両が停車していたことから,保*に信号表示を確認したところ,山*対面信号の表示が青色であったとの回答を受けた。
H この目の天気は晴れで,私の視力は,眼鏡をかけて1.0であった。
I 私が運転していた原付は,事故後廃車処分にし,治療費は自賠責保険で処理した。
佐**は,当公判廷において,大要,以下のとおり供述する。
@ 私は,桜木町駅に行くため,本件交差点の桜木町方面寄りの横断歩道を渡ろうとした。
A 私は,本件交差点についたとき,横断歩行者用の信号が青色点滅していたことから,渡らなかった。友人2人が渡ろうとしたのを止めた。
B 信号表示が赤色に変わり,さらに青色に変わったので,私は横断歩道を渡り始めた。私は,一瞬青を確認してから,横断歩道を渡り始めた。横断歩道を渡り始めて,3歩か4歩くらい,歩道の縁石から1.5メートルから2メートル進んだところで,左斜め前方から,被告人車両が私に向かって進行してくるのを見た。私は,被告人車両との衝突を避けるため,左回りに体を反転させて,元いた歩道に向けて2歩か3歩戻った。
C その際,私は,歩道の縁石に左足のつま先を引っかけ,前のめりに倒れ,両手をつき,左膝を路面にぶつけた。その後,私は,左膝が痛かったことから,体を反転させてしりもちをついた状態になり,左膝を抱えた。ズボンを上げて左膝を見たところ,少し出血していた。
D その後,被告人車両が私の横で停車し,被告人が降車して,大丈夫ですかというようなことを言われた。
E 私は,左膝が痛かったが,仕事のことが頭をよぎり,また,怪我もたいしたことはないだろうと考え,びっこを引きながら本件交差点から立ち去った。
F その日の昼ころ,痛みが痛かったので,被告人に電話連絡したが,そのうち治ると考えたことや,被告人の対応が紳士的であり,被告人が保険を使えば保険料が上がると考え,なるべく被告人に負担をかけないようにと思って,病院には行かなかった。私は,被告人に,示談を持ちかけたことはない。
G その後,左膝の痛みがひどくなったため,平成17年2月24日か25日に病院に行った。
H 当日の天候は晴れで,私の視力は眼鏡をかけて2.0から少し落ちるくらいである。
ア 保*証言及び山*証言は,山*の停車状況,山*の対面信号が青色表示になった後に,山*が発進した状況,山*が時速約20キロメートルの速度で交差点内を走行しているところへ,被告人車両が走行してきて衝突した状況など,主要な点ではば一致している。
また,佐**証言からすれば,佐**は,青信号が表示されて数秒後に転倒していることになるから,山*車両が青信号で出発して被告人車両に衝突したことと何ら矛盾は生じず,保*証言及び山*証言との整合性が認められる。
イ 保*,山*,佐**は,お互いに何ら面識がない者同士である。
特に,保*は,本件事故の目撃状況について証言することで,何らかの利益を受ける立場にもなく,虚偽供述をする動機がないばかりか,むしろ証言をすることで被告人の逆恨みといった不利益を受けるおそれがありながら,被告人の在廷する当公判廷において,被告人の目の前で証言しているのであり,その真撃な供述態度からしても,保*証言に信用性が認められる。
そして,かかる保*証言と一致または整合する山*,佐**証言も,保*証言と相互に信用性を補強しあう関係に立つということができる。
ウ なお,佐**の転倒状況については,保*証言と佐**証言は必ずしも一致しているとはいえないが,保*は,証言の中で,転倒状況につき「車の死角っていうか,人間がこう立っていて,こう来たのがこう見えなくなったっていうような感じ,しりもちをついたみたいな形に僕には見えました。」と証言しているところ,この証言及び保*と佐**や被告人車両の位置関係からすれば,保*からは被告人車両により視界が遮られ,佐**の転倒状況を視認することは困難であったと推認されるのであり,かかる不一致は保*及び佐**証言の信用性に何ら影響を及ぼすものではない。
エ このように,本件事故まで何ら関係のなかった3者が,一致または整合性を有する証言をしていること自体からして,各証言には極めて高い信用性が認められるのである。
(ア) 内容は具体的かつ自然,合理的であり,迫真性も認められること
前述した保*証言は,具体的かつ自己の心情を交えた迫真性のある内容となっている。
また,保*が本件交差点の各信号の表示を注視していたのは前述した動機からであり,単に右折のタイミングのみを計っていたのではない。
かかる保*が,各信号表示の変化を確認しようとして,山*対面信号を見たのは,かかる動機を有する者の行動としては極めて自然である。
保*は,青色直進矢印が消える場面を見たかという裁判官の問いかけに対し,見ていないという証言をしているところ,山*の対面信号を見ていたのであれば,青色直進矢印を見ていないのは当然のことであり,その証言内容は極めて合理的である。他に不合理な点は認められない。
(イ) 供述の変遷について
保*は,信号表示が赤色から青色に変わったのを視認した信号機について,捜査段階と公判廷とで供述を変遷させているが,この点について は,保*は,それはど重要なことになるとは思わなかった,OLがいたため自然とそちらを見たと言ったと思うと証言しているところ,本件について最重要なのは山*対面信号の信号表示が赤だったのか青だったのかという点にあることからすれば,どの信号機で赤から青に変わったのかを安易に答えてしまうことも十分考えられることからして,その変遷理由は了解可能であり,かつその最重要な点については実質的に変遷がないことからすれば,保*のかかる変遷は些細なものであって,これにより保*証言の信用性は何ら減殺されることはない。
山*は,本件当日,出勤時間が迫っていたわけでもなく,先を急がねばならない状況にあったわけではないのであり,青信号に従って発進したという山*供述はごく自然である。
また,山*は,左右をよく確認せずに交差点内に進入した旨証言するところ,見切り発車をする者であれば,確認するのが通常の行動なのであり,これをしていない山*が見切り発車をしたというのは極めて不自然な行動となる。青色表示に従って進行した者の行動として合理的な説明がつくものである。
前述した山*証言全体を見ても,その内容は具体的かつ自然であり,自己の心情を交えた迫真性のあるものとなっており,特段不合理な点も認められないのであって,その内容のみからしても,山*証言には高度の信用性が認められる。
前述した佐**証言をみれば,その内容は具体的かつ自然であり,自己の心情を交えた迫真性のあるものとなっている。
しかも,被告人が佐**に無断で録音した会話記録や,「陳述書3」に記載された会話の一部についての被告人による反訳からすれば,佐**は,本件の被害状況につき,信号が赤から青に変わって,横断歩道を渡り始めた後に,被告人車両を目撃した状況や,転倒状況,負傷状況などについて一貫した供述をしていることは誰の目にも明らかである。特に,負傷状況について,佐**は,一貫して「痛かった。」と言っているのであり,被告人が同会話記録の中で言うような,「何ともなかった。」「痛くなかった。」などという発言は,佐**の口からは一言も聞くことができない。佐**は「大丈夫だと思った。」と述べる部分はあるものの,痛くても,じきに痛みが治まり,生活上支障がない程度の負傷だと思えば,痛くても「大丈夫。」だと思うことは,誰しも経験のあることであり,了解可能な言動である。同会話を全体として聞けば,佐**が一貫して,膝の痛みがあった ことを述べていることは極めて明白であることからして,同会話記録における佐**の負傷状況に関する供述は,信用性がないどころか,むしろその一貫性は,公判供述の信用性を高めるものということができる。
このように,その内容から見ても,佐**証言には極めて高い信用性が認められる。
ア 客観的条件について
本件事故当日の天候は晴れであったこと,保*及び山*は停止線の先頭に停車したこと,各証人は,静止した状態で信号表示を見ていたこと,そもそも信号機自体が視認の容易な高さに設置されており,視界が遮られる状況も窺われないことなどからして,各証人の客観的視認条件は極めて良好である。
この点,保*の位置からは,山*の対面信号を斜めに見る状況となり,同信号機には覆いが付されているものの,被告人撮影の写真からしても,信号の表示部分全てが視認不可能な状況ではなく,保*の証言どおり,下部の3分の1程度は視認可能であることからして,保*の位置から,山*の対面信号の表示を視認できたことに何ら疑いは生じない。
また,被告人作成にかかるCD内に記録された,保*の位置からの見通し状況を撮影した動画を見るに,撮影者の視点は本件右折車線上にはないこと,保*の停車位置からはさらに後方であること,高さも保*が運転席に座った状態での視線の高さよりも高い位置であると思われることなどからして,保*の視線を正確に現したものではないことが明らかであり,保*の視線よりも視認条件があらゆる意味で悪条件を設定した上で撮影されたものにすぎず,かかる動画が保*証言の信用性に何ら影響を与えるものではないことはいうまでもない。
イ 主観的条件について
各証人の視力は,保*が1.5,山*が眼鏡をかけて1.0,佐**も眼鏡をかけて2.0程度と,十分な視力がある。
また,保*は,前述のような動機から信号表示を注視していたのであり,観察の意識性は極めて高く,山*や佐**についても,同交差点を通過しようと停車または停止して信号待ちをしていたのであるから,観察の意識性は高いものというべき状況にあり,主観的視認条件も極めて良好である。
ウ したがって,各証人の記憶は極めて正確といえる。
保*は,タクシー会社への勤務経験があり,事故の状況を詳細に記憶するよういわれていたのであるから,信号表示や事故状況を記憶に留めるように努力し,公判証言に至るまでその記憶を維持したことは明らかである。加えて,保*は,事故直後,山*から証言を頼まれたことからすれば,事故状況について,鮮明な記憶を保持していたということができる。
山*及び佐**は,本件により傷害を負った立場にあることや,その後被告人と連絡を取り合い,事故状況等について話しをしていた状況が認められるのであって,公判証言に至るまで記憶を維持していたことに疑いはない。
したがって,各証人の記憶保持状況は極めて良好である。
ア 保*証言について
保*は,本件交差点手前の停止線で停車した際,対面信号機の表示については,信号機の上が赤色表示をしており,直進の青色直進矢印が表示されていた旨証言しているところ,これは,信号現示状況表(甲4号証)と合致するものである。また,保*は,右折可能な時間が短い旨証言しているところ,信号現示状況表によれば青色右折矢印が表示される時間は秒と短く(甲4号証),保*の証言はこの点でも客観的証拠と合致している0
さらに,保*は,衝突の際,原付の前タイヤが被告人車両の左側面に衝突し,後部が跳ね上がるようになった旨証言しているところ,これは,被告人撮影にかかる事故直後の原付の前部の写真及び被告人車両の左側面の破損状況と合致するものである。
イ 山*証言について
山*は,自車前部が被告人車両の左側面タイヤ部分に衝突した旨証言するところ,被告人撮影にかかる山*運転車両の前部が破損していることや,被告人運転車両の左後方のタイヤがパンクしている状況が明らかであり,これらの写真と山*証言は合致する。
また,山*車両の前部のフォーク部は左にねじ曲がっているが,山*の証言によれば,山*は,進行方向右から左に向かって走行してきた披告人車両の左側面に衝突したのであるから,被告人運転車両の速度が時速50キロメートルを越えるものであったこと(甲5考証)を併せ考えると,その衝撃で,衝突した山*車両前部のタイヤ及びこれと直結するフォーク部が左にねじ曲がるのはむしろ自然であって,山*の証言を裏付けるものということができ,この点でも山*証言は客観的証拠と極めてよく合致するものである。
ウ 佐**証言について
佐**は,膝から出血していた旨供述しているが,佐**の診断医の捜査照会に対する回答及び電話聞き取り書(甲18号証及び18号証)によれば,左膝に傷跡があったことが明らかであり,客観的証拠と符合する。同診断書は,他覚的所見に基づき作成されたものであり,佐**の愁訴のみにより作成されたものではないことが明らかであって,診断書に何ら疑義を挟む余地はない。
各証人は,真撃に,自己の見聞ないし体験したところを記憶にあるとおりに述べている様子が窺え,弁護人の反対尋問にも揺らいでいない。
以上からすれば,保*,山*及び佐**の各証言は,極めて高い正確性,信用性を有していることは明らかである。
信用できる各証言によれば,山*が,対面信号が青に変わってから発進した事実が認められる。
そして,被告人進行方向の停止線から衝突地点までの距離が約34・4メートルであるところ(甲2考証),時速50キロメートルで走行すれば,その距離を走行するのに要する時間は約2.5秒であること,山*対面信号の信号表示が赤色から青色に変わる3秒前に,被告人の対面信号の直進方向の信号表示が赤色に変わっていること(甲4号証)からすれば,被告人車両が停止線を通過する際には,対面信号の信号表示が赤色であったことは明白な事実であり,被告人が,赤色信号表示を看過して直進進行した事実は,優に認定できる。
また,佐**が本件事故により傷害を負った事実も明らかである。
被告人は,捜査段階においては,自己の対面信号の信号表示は青色だった旨供述していたが,被告人質問に至って突然,信号表示の色については「明確な記憶はない」「この信号の表示は行ってもいいという表示だという感覚で行きました」などと,供述を変遷させている。
被告人は,かかる供述の変遷理由につき,記憶のとおりに供述したとしても「マイナスにしかならない」ため,捜査段階では記憶通りの供述をしなかったなどと述べているが,これは,自己の保身のために虚偽の供述をした旨,被告人自身認めるものであり,変遷理由は,自己の刑責を免れることにあるのであるから,何ら正当性を認めることができない。
被告人が,このような理由で供述を変遷させたということは,当公判廷における供述についても,自己の刑責を免れるため,虚偽供述をしていることを推認させるものであり,この点のみからも,被告人の供述が信用できないのは明らかである。
また,「陳述書3」添付の電子記録である「陳述書1」内においては,被告人は,佐**が信号が青に変わって渡り始めようとしたところで,被告人運転車両が進行してきたことを前提に,主張を構築しているが,当公判廷においては,佐**が,歩数はともかく,歩道から,横断歩道を歩き始めていたことを認める供述をし始めており,この点についても不自然な変遷が見られ,変遷理由につき,何ら合理的な説明は加えられていない。
被告人は,自ら過失がない旨供述しているが,被告人作成の再現動画からすると,被告人は,対面信号表示が黄色に変わった後,約2・5秒後に交差点手前の停止線を通過しており,そうであれば,被告人が,信号表示が黄色に変化したことに留意していれば,急制動をかけなくても十分停車することが可能な状況にあったことになり,すなわち,被告人は,自ら黄色信号を看過したという過失を主張していることになり,自己の過失を否定する被告人の供述には,ここに大きな矛盾が存在しているのであって・被告人供述は極めて不合理である。
また,被告人の,山*が赤信号であるにもかかわらず見切り発車したとの弁解によれば,山*は,交通量の多い本件交差点に赤信号で進入したことになるが,自ら交通事故を招く極めて危険な,いってみれば自殺行為ともいえる行為となるのであり,出勤途中で急ぐ必要もない山*に,そのような危険な行為にあえて及ぶ動機などあるはずがなく,にもかかわらず山*がかかる行為に及んだとする被告人の供述が如何に不自然,不合理であるかは多言を要しないものである。
被告人は,「陳述書3」の理論構成として,佐**が,横断歩行者用信号の表示が青になって,佐**が横断歩道を渡り始めた直後に,同人の前方に被告人車両が到達したことを前提にしているが,佐**は,その証言するところによれば,歩道から3歩か4歩,1メートル50センチメートルから2メートルの距離を歩いた旨証言しており,被告人は,前提を誤認しているのは明らかであって,誤認した前提の上に加えられる主張に何ら理由がないことはいうまでもない。
また,山*が発進してから衝突地点に至るまでの時間をおよそ6秒と計算しているが,これは,等加速で進行した場合に要する時間であるところ,一般的に考えて,原付等を運転する者が,時速20キロメートルに至るまで等加速で走行するとは考えられず,現に保*も勢いよく発進したと証言していることからすれば,被告人の主張する6秒という時間に何ら合理的理由がないのは明らかである。
加えて,被告人作成にかかる再現動画に至っては,被告人車両の動画上での速度は,被告人の当公判廷における供述によれば,秒速10メートル(時速36キロメートル)というのであって,実際には時速50キロメートル(甲4号証)以上のスピードが出ていたことは明らかである以上,同動画の本件事故のイメージとはかけ離れたものということができ,証明力が皆無であることはいうまでもない。
被告人と山*及び佐**との電話による会話記録を聞けば,山*に対しては,お互いの損害を支払うことで事件を終結させようとしていることは明白であり,佐**に対しては,同人のけがの原因が本件事故によるものでないとしていることなどから,被告人には自己の刑責を免れようとする強固の意志が見て取れることからして,本件に対する被告人の態度は真撃とはいえず,被告人の供述に到底信用性を認めることができないのである。
被告人が本件を否認するのは,対面信号の信号表示につき,行ってもよいという「感覚」をもったからにすぎず,このこと自体,被告人が信号表示に留意していなかったことの何よりの証左である。
加えて,停車中に青色表示を確認した山*,保*の証言と比較した場合,かかる「感覚」をもったにすぎない被告人の供述の信用性が極めて低いということは,誰にでも容易に理解されることである。
以上からすれば,信用性の高い山*,保*,佐**の各供述に反し,変遷もあり,その内容も極めて不自然かつ不合理である被告人供述に信用性が認められないことは明らかである。
以上検討してきたとおりであり,本件公訴事実は,合理的疑いを差し挟む余地なく認定できる。
被告人は,信号表示に留意するという,運転者として最も基本的な注意義務を怠ったものである。各運転者は,信号機により交通整理の行われている交差点においては,その信号表示に従って運転走行しているのであり,信号表示に従わない運転者がいれば重大な結果を惹起する可能性が極めて高いものとなるのであるから,被告人の過失は重大である。
前述したとおり,山*は,その対面信号の表示が赤色から青色に変わったのに従って,本件交差点内に進行したのであり,運転者としての注意義務を果たしており,何ら落ち度は認められない。当然のことながら・信号表示に従って交差点内に進行した山*に,右方道路から赤色信号を看過してしてくる自動車の有無を確認すべき注意義務はない。
佐**も,信号表示に従って横断歩道を渡り始めたところで本件被害に遭ったもので,何ら落ち度はない。
本件事故により,被害者らは,何ら過失がないのに,山*は全治約10日を要する軽微とはいえない傷害を負い,佐**は加療約33日間を要する傷害を負ったのである。突然かかる事故に遭遇した山*の恐怖は大きなものであったはずである。佐**は,歩行者にとって,もっとも安全な場所というべき横断歩道上で不意の事故に遭遇したのであり,大きな恐怖を味わったはずである。
被告人は,各被害者に対して,何ら慰謝の措置を講じていないどころか,山*に対しては,物損についての被害を各自負担とすることで事件を終結させようとするなど,山*の被害感情を逆撫でする行為に及んでいる。
佐**に対しても,同人との電話での会話の中で,同人のあげあしをとるかのような言動を繰り返し,同人の被害感情を逆撫でする行為に及んでいる。佐**は,当初紳士的であった被告人の態度に好意をもち,被告人の免許の点数が減ってしまうのではないかと心配し,病院へも行かず,痛みを我慢していたのに,被告人は,佐**の言を曲解し,または悪意から,佐**が示談を強要しているかのような言動をしている。佐**は,同会話記録の中でも,一切「示談」という言葉を用いておらず,同人が示談をちらつかせたなどという状況がないことは,誰の目にも明らかであって,被告人のかかる行為は,佐**の好意を踏みにじるものといえ,極めて悪質である。
また,被告人は,佐**の通院した病院へ行き,虚偽の愁訴を医者に訴え,内容虚偽の診断書を作成させているが,かかる行為が極めて不相当かつ悪質であることは,誰にでも分かることであり,もはや被告人の防御権の範囲を超えているものである.さしたる抵抗感もなくかかる行為に及ぶ被告人には,規範を見て取ることができない。
さらに,被告人は,自己の提出した「陳述書3」において,目撃者の供述に信用性がないとの主張をしているが,交通事故については当然,他の各種犯罪においても,犯罪を目撃した多くの国民が,何ら利益を受ける訳でもないのに,目撃者として捜査に協力し,さらには裁判において証人として出廷するなどして,真相の解明に協力している現状にあることは公知の事実であり,被告人のかかる言動は,これら多くの国民を冒涜するものであるだけでなく,本件について証人として出廷した保*の感情も逆撫でするものである。何にでも言いがかりをつけて自己の刑責を免れようとしている被告人の態度は目に余る。
さらには,被告人は,被害者らに何の断りもなく,被害者らとの電話における会話を録音し,これを何の断りもなく記録化している。その会話記録をみても,被告人は,被害者らに,一方的に自己の見解を押しつけようとしており,被害者に対する真筆な態度は見て取れず,被告人に反省の情はない。被告人と佐**との会話の録音記録を聞けば,被告人が,被害者らとの会話の中で,その発言を自己に有利に解釈し,自己の刑責を免れようとすることに汲々としていることが顕著に認められるのである。
前述したとおり,被告人には,赤色信号表示を看過したという重大な過失があるにもかかわらず,山*に責任転嫁する主張を繰り返し,自己の過失を否定していることからすれば,被告人には一片の反省の情も見て取れず,交通法規遵守の態度は皆無といえ,再び同種再犯を犯すおそれは大きい。自己の過失を真筆に受け止め,反省することのできない者が,将来にわたって同じような過失を犯す可能性は極めて高い。
悲惨な結果が絶えない交通事故を減少させるため,交通法規違反に対する厳罰化が進む中,国民の交通法規に対する意識向上という一般予防の見地からも,被告人を厳重に処罰する必要がある。
以上,諸般の事情を考慮し,相当法条適用の上,被告人を
禁錮 1年2月
に処するのを相当と思料する。