[668] 『裁判ゲーム』 - ゲーム or 真実に近づく手段 -
投稿者名: Initial_P (ホームページ)
投稿日時: 2001年4月24日 02時53分
> 意識のうえでは、「絶対正しい自分が、悪い今井をやっつけている」とい >う形になってるのかもしれません。 > また、自分の破綻は一切省みないというのが、「戦略」なのか、単に頭が >おかしいのか(おそらく脳の病気ではなく、最近言われる「人格障害」でし >ょう)判然としません。どうも後者が強いようだなあ、という印象ではあり >ますが。 > あの破綻ぶりが「戦略」でやっていることなら、モノスゴイ才能だと思い >ます。なかなかああは書けないものです。
私はこれまで1度も「自分が正しい」ことを閲覧者に押し付けるような発言 をしたことはありません。何度も書いているように、対立する意見を主張す る二人のうちどちらかの一方でも聞く耳を持たなければ議論は泥試合になるだけです。 つまり当事者だけの議論が有意義な結論を得るためには双方が理性的である 必要があるのです。
私が次のことを“裁判ゲーム”として閲覧者に向けて書いたのはそんな理由 からです。なお“裁判ゲーム”とは私が勝手に決めたルールではありません。 好む好まざるにかかわらず公開された場所で議論をする際に生じる現実です。
╋━━━━━━━━━━━(市民流)裁判ゲーム━━━━━━━━━━━━━╋ 裁判とは、裁判官というたったひとりの評論家の前で、原告と被告の陳述の どちらが説得力を持つかを競うゲームです。 『市民流裁判ゲーム』という今井氏の本を私は読んだことはありません。 しかし題名から勝手に内容を膨らませると、今井氏と私のやりとりは、掲示 板の閲覧者という陪審員の前でどちらの方が説得力を持って持論を主張でき るか、というゲームです。今井氏が「オレはそんなゲームに乗る気はない」 と思ったとしても、公開された掲示板で譲れない主張を展開する2人は既に 『裁判ゲーム』の舞台に立っています。
陪審員はこの掲示板を見ている閲覧 者のあなたです。裁判ゲームには陪審員の判断の多数決はありません。陪審 員であるあなたの判断がひとつの判決です ╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━╋
なお私が“裁判ゲーム”と表現したコトは、今井さんと私の間だけ存在する コトではありません。
┏━━━━━━━━━━━━ケーススタディ━━━━━━━━━━━━━┓ 公共の場で「批判されたくない」という心理は誰にでも存在しています。 そして自身が相手や閲覧者に配慮をしても、相手が無配慮であったり感情 的であったならそれに対応せざるを得ないのがネット社会です。 そしてネット上にはこれら無配慮や感情的な発言が横行しており、その原 因の多くは匿名性にあります。 仮名(ハンドルネーム)での発言であるにも関わらず、掲示板上で感情的 な批判の応酬がひんぱんにみられるのは、理性的であることの難しさと、 感情的な相手を理性的にすることの難しさを示しています。 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
また“ゲーム”だから何でもあり、というわけではありません。感情的な発 言をする者は理性を疑われ、ウソやダンマリやその場限りの言い訳で事なき を得ようとする者の発言には曖昧さや一貫性のなさが生じます。 |
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