警察は“聖域なき捜査”をしたか?
花火大会で10人が圧死(明石)主催者側と明石警察署が事前に7回の“打ち合わせ”を行ったこと(7/24)、そして明石警察署は警備会社の選定に口を出していたことが明らかにされています。(7/26)
しかし8月20日には「明石署を交えた検討会は計3回、市と警備会社との警備業務説明会が計2回開かれた」と発表されており、差し引いた残りの2回の“打ち合わせ”はうやむやにされてしまいました。
事件発生当初の7月23日、兵庫県警捜査本部は“聖域なき捜査”を掲げています。本当に聖域のない捜査したのなら、警備会社の選定に関わる明石警察署のタカリ(収賄)の疑惑が浮上するはずです。警察官が裏でタカリ行為をやっていることが、警察の構造的な問題であることは1980年代から盛んに指摘されており、現実にタカリが露呈した事件も数知れないのだ。
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「警察は都合の悪いことを隠す」との指摘はあとを絶ちませんが、この事件においてもモニターが撤去されるまでの期間、明石警察署が事故が発生した歩道橋をモニターで監視できた事実を隠しています。「中の様子が見えなかった」という署長の記者会見が 行われたのは、モニターが撤去された後のことです。
警察が「聖域のない捜査」を掲げたのなら、過去の警察官の犯罪から容易に推測される次の疑問に答える努力をすべきだろう。
- 明石署の担当警察官は、警備会社に警備を受注させた見返りを要求したのではないか?
- 「打ち合わせ」と称する明石署への“接待”が行われたのではないか?
おそらく警察と主催者は、世論を落ち着かせるための“落としどころ”を模索しながら、情報を小出しにしていくはずです。そして、近年噴出した警察不祥事に対して警察が続けてきた“風化を待つ”姿勢が今回も行われのなら、不幸な事故はまた発生するはずだ。なぜなら群集警備にかかわる許認可(や届出)の権限は、ほとんどすべてが警察に委ねられているからである。そして、警察がこれらの権限を「市民の安全確保」よりも 「警察の利益」に利用していることは、過去に起きたさまざまな警察不祥事が証明しています。