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交通取締りの総件数(H16年度) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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テレビの警察ドキュメントでは、暴走族を勇ましく追跡する様子が、これまで数限りなく“報道”されてきた。
一方、シートベルトの取締り映像が、警察ドキュメントで流されることはない。しかし現実、警察官の取締りでもっともよく見かけるのはシートベルトの取締りであり、取締り件数においてもダントツだ。
ついでに書けば、極端に低い規制速度がもたらす速度違反とすべての市街道路が駐(停)車禁止となっているための駐停車違反が筆頭に来るのはとうぜんだろう。しかし、誰にも迷惑をかけないシートベルト着用義務違反に対し、警察がここまでがんばる理由は、「取り締まりによって交通死者が減った」とアピールするためにほかならない。
さて、2004年の道路交通法改正において、警察官が集団暴走行為を認知した場合には、直ちに検挙できるようになったそうだ。ということは、これまでは、警察官が認知しただけでは検挙できなかったわけである。だとすると、いままでの警察は、暴走族に対し、いったい何をしてきたんだろう?
今回の改正においては、 |
暴走族の迷惑性のトップは騒音である。しかし、現実よく目にするのは、騒音をまきちらす暴走族以外の車両だ。マフラーをイジった原付バイクの高周波は脳のひだの奥底までしみわたり、排気管をはずしたトラックの爆音は地を揺るがすかのようだ。○×デシベルといった計測をするまでもなく、誰がみても「なんであれが公道を走れるの?」といったレベルの車両が横行しているのが現実だろう。
ではなぜ警察は、騒音車両の取締りをしないのだろう?
騒音問題とお役所のなわ張り
暴走族に象徴される車両の騒音問題は、「運転方法の問題」と「車両そのものの問題」の間に位置する。そして、タテ割りの行政が、これを横断して解決することはない。あくまでも、運転方法の問題は警察庁、車両上の問題は国土交通省の問題として処理されている。
なわ張りがもたらすお役所の利権
官僚主権の現実でふれたとおり、ニッポンのお役所にはそれぞれが主管する法律があり、これを操作することによって、利権を獲得している。
業界を牛耳る外郭団体を設立し、業界の免許や資格を一任させ、そこに生じる公金からの委託料や民間からの手数料を獲得するのである。さらに外郭団体には当然のように天下り先を確保していくのである。
警察のなわ貼りでの取締り
警察が所管する道路交通法には、整備不良、消音機不備、騒音運転等といった違反に対し罰則規定が設けられている。 しかし現実に目にする取締りで、暴走族や騒音車両をターゲットにした取締りは、とにかく目立つ場所での検問である。
それも多くが快晴の日曜日に行われている。目立つ場所だから、おまわりさんの活躍をアピールするにはよいのだろうが、こんな時間のこんな場所で、いったい誰が捕まるというのだろうか。
このように警察は目立つ場所でのパフォーマンスばかりで、実効性のある取締りが為されているとはいえない。
次に、国交省が車両上の問題に対していったい何をしてきたかをレビューしよう。
1980年代までの車検といえば、ディーラーや国の認証を受けた自動車整備工場でいわれるままにカネを払うのがあたり前だった。社外品を取り付けることなど考えられなかったのである。しかし、他国と比較して過剰なユーザー負担などが疑問視されたことなどから、当時の運輸省(現:国土交通省内“運輸村”)は規制緩和を余儀なくされた。そこでアフターマーケットの業界標準を牛耳る外郭団体を設立し、そこに様々な認定制度を設立し、車検を緩めた後の天下り先を確保したのである。そしてアフターマッケット業界は大躍進を遂げることとなった。つまり、運輸省は、車検業界からアフターマーケット業界へと、利権を得る舞台をシフトさせていったのである。
そうして車検はゆるやかになり、今日では、対向車の目をくらませる眩しいヘッドライトや大音量ホーン、わずかな段差を超えられないエアロパーツに真っ黒なスモークフィルム、そしてマシーナリズムをくすぐる社外マフラーが氾濫するようになっていったのである。
もちろん警察には、自分たちの所管する道路交通法だけでなく、他の官庁の所管する法律を取り締まる責務が存在する。しかしながら、行政が司法を介在させずに業界を支配する構図がまず尊重されているのが現実だ。いい替えると、警察にとっては、道路交通法のなわ張り内でなければ行政上の利権を獲得できないのである。
そういえば、異例の道路運送車両法で自動車メーカーの責任者が検挙された事件が2004年にあった。このときの警察一家は、不正経理疑惑に脅かされており、国土交通省に遠慮する余地が残されていなかったのだろう。
正義のヒーローのための悪役 |
正義のヒーローが正義のヒーローであるためには悪役が必要だ。 凶悪怪獣あってのウルトラマン |
暴走族を根絶する方法
走り屋は別として、そもそも諸外国ではニッポンの暴走族のような集団が見られない。それから、規制権、取締り権、そして免許に関する権限まで手中にあるニッポン警察にとっては、暴走族の根絶など簡単なことである。
暴走することによって自己表現をしようとする少年少女は、クルマやバイクが大好きだ。だから、現在のように、無免許の少年少女に1年の欠格を課すような無意味な処分ではなく、免許取得後に累積点数を発動させればよいのだ。そして、「無免許での暴走行為は、免許取得後○年間運転することができません」とちゃんと伝えられれば、暴走族は消滅するはずだ。
つまり、行政処分を有効に運用すれば、暴走族は根絶が可能なのである。なのに警察は、ひたすら「交通違反は犯罪だ!」と刑事罰を振りかざす一方だ。これは〝正義〟を演出するためには有効なのであるが、取り締まりのターゲットとなる側から見ると、極めてうさんくさいやり方だ。今のやり方では、規制にも取り締まりにも、決して道路ユーザー側の理解が得られるはずがないのである。
2004年の道路交通法改正によって、共同危険行為に対する処分が厳しくなったが、無免許者への行政処分は旧来通りだ。それでも警察にその気があれば少しは変わるはずなので、それについては見守っていきたい。しかしながら、これまでテレビの警察ドキュメントで実効性のない正義を演じてきたこと対しては、猛省を促したい。
正義を演じるためのイタチごっこ
道交法は警察庁の所管であるため、都道府県警察はそれに従うほかはない。そして、地方警察の執行部隊の中には、現行法規の枠内で一所懸命にやっている者もいるはずだ。しかし、警察一家としての暴走族対策を捉えると、法規制によってできることをせず、暴走族を生かしながら、執行部隊にイタチごっこをさせてきたといわざるを得ないのである。つまり、警察一家は、「取締りの正義」を演じるために暴走族を利用してきたのである。
警察の所管する業界 |
風俗業界 賭博業界 |
見透かされる取締りのウラ表
警察ドキュメントは、シートベルトの取締りのほかに、原付狩りを決して映像化しない。このように「テレビ用の取締り」と「現実の取締り」には大きな開きがあり、現実を知るドライバーやライダーは、「オモテ向きにはカッコいいことばかり・・・」とあきれている。
一方、これら警察広報を踊らされるのは、“道路交通の現実”を知らない非運転者たちである。
人は自分のしないことする他人を安易に否定するものであり、、警察広報は、この性質を利用して取締りを正当化しているのである。こうした善良な非運転者たちに対し、最大の効果をあげている警察広報は、悲惨な事故のアピールだ。つまり、ニッポンの交通警察は、非運転者を運転者に敵対させることによって、正義のヒーローとしての存在価値を高めているのである。 ちなみに、これを可能にしたのは、マスコミと警察との馴れ合い構造である。
ニッポン警察の活動がもたらすもの
マジョリティ・ルールを完全否定し、お上の取締りのみこそが交通安全をもたらすかのようなニッポン警察のやり方は、北朝鮮のそれと何ら変わることはない。